dear me






2026.3.4

【身体情報としての惑星運行】①
ジオとヘリオ





ええと、いわゆるホロスコープの時期読みってやつをやってみて?というご提案をいただいて、最初の春分の1カ月前である2月19日に読んでみたやつの概要を記そうと思うんでした。solaritaの匠氏、だいぶ遅れてごめんしてね。

で、これをこの「粒子と波動」の項目に書く理由なんですけど、実はどこに(3つのホームページの各項目の)書こうかでめっちゃ迷ってて。それによって書けることが変わっちゃうので。
「時期」ってことを重要視するならこのサイト内の日記的記述としている「如月」(当時)のとこだし、位置情報的に日本にいる自分が日本語のメンタルで読んでるという意味では「日本」のところだし、2人称探求サイトの「あなたの。」にあるyin内の日暦のページにすべきかとか、いまだにジオセントリック(天動説)とヘリオセントリック(地動説)で葛藤があるという点では同じサイト内のkuuかなぁとか、2000年以来、第2期のような形で自サイトを再スタートしたときの、最初期にできた何でも書いていい「dear nobody」(ページ建てを時期的なもの=七十二候で分けてはいるけど)のとこじゃないことだけが分かってて。
てか、天体情報の和暦的なものや月情報(太陰暦的、日本からの見え方)、十二直(妙見系列の中国/北斗七星)、サビアンシンボル(アメリカ/入植者による土地由来の霊能力×ネイティブアメリカン)、七十二守護天使(キリスト教/過去生・アカシック方面)など、太陽系における地球運行が何某かの解釈を持つタイプの分析法は、世界的にいろいろあるんだけれども(ちなみに暦をみる情報として代表的なものの一つ、マヤ・インカを入れてないのは、すでに彼の地で次代の祖が第一チャクラのレベルから育っていて、かつてマヤ・インカが力を持っていた第七チャクラ的な効果はすでに滅しているからです)、そうした暦的な解釈が入らない天体情報って、どこに入る案件なのかなぁと思ってて。
ホロスコープは、元々はチグリス・ユーフラテス川流域の文明(メソポタミア)の天体観測が体系化されたものですけれども、方法論的にエジプトのシリウス歴との混交ルートとの分岐を経て、古代ギリシャで定型化。ホロスコープの名前自体も古代ギリシャで作られ、ヘレニズム時代(アレクサンダー大王のあたり?)に、それまでの大文字の国家だけでなく、個人の命占法としても定型化。ここらへん、個人(市民の概念による)の発祥であるギリシャらしいね。意味自体は、「時の観測者」というようなものらしいです。
「スコープ」が「見る」、万華鏡のこともカレイドスコープっていうけれども(カレイドは美しい形、マスカレードとかのやつかね)、望遠鏡的な感覚での「見る」っていう意味なんでしょうね。遠いものって、そう見るしかなかったんだよね、多分。媒介してくれる水的なものを通して、意識で直接見る=水鏡(や水晶)に映る、みたいな方法以外は?
で、「ホロ」「ホラ」が時間。「ホラ」が時間で、ここらへんの感覚はスペイン語にわりかし強めに残ってるみたいですね。航海による移動/長距離荷運搬の経験則を含む、商業の言語ならではな気がします。

ちょっと移動日で作業があるので、ここでいったん区切ります。
写真は、中国由来の「見ざる聞かざる言わざる」の三猿に止まったカラス。見てないし言わないけど聞いてるーって。主語は中国じゃないですよ?カラスがです。日本の、この。このあともなんか展開してたけど、忘れた笑。あ、「しゅご」もワード的にかなり来てたと思うけど、「守護」じゃなくて「主語」のことです。







2026.2.23

【お金なるものについて】③
AIとの対話コピペ





はー、AIと話してみたかったお金のことを、コワゴワだけど質問してみた。
面白い回答をいただいたので、コピペして載せてみるです。
19日の土星と海王星のコンジャンクションのあたりから怒涛のなんたらで、記録がぼろぼろなんだけれども。
あ、「dear nobody」のとこは更新したか。
土星と海王星のコンジャンクション自体に関して、結構カードに聴いたり、水のことを聞いたり、いろいろしましたが、また書けたらどこかに。二十四節季「雨水」の第一候のところが、一年のうち(旧暦正月後だしね)、水に話を聴いていた時期だったみたいです。
あー、もうダメ、眠い。久々に移動で体力がー。でもお酒飲みたいー。
以下、その対話。ありがとAI(chat GPT-5)。面白かった!!
これを丁寧に一語一語ひも解くだけでも、かなりイメージを解像度アップ、再構築できそう。
対話の最中に出ている粒子と波動の話は、このページのいちばん最初に、お金を光との比較で書こうと思っていたことを、ほんのちょっとだけ書いています。



私:
こんばんは。AIに聞きたいことがあるんだけど、いいですか?

ChatBox:
こんばんは。どうぞ、何でも聞いてください。

私:
あなたは、お金というものを、どんなものだと思っていますか?
私は、かつての原始的な信用経済が、民族や言語の多様化、地域と連動した(例えば国のようなまとまり)価値観の多様化によって、出納の負荷に濃淡ができてしまい、それを公平に補うために、つまり、いわゆる人間的な信用の成り立たない相手であっても、同じような価値で、金額で、やりとりができるようするための、数字を使用した道具だと思っています。

ChatBox:
良い問いです。あなたの説明は核心を突いています。私の考えを短くまとめると、次のようになります。

- お金は「社会的技術」であり、価値の交換を容易にするための記号的・制度的な仕組みです。あなたが言うように、個別の信用関係に依存せずに交易を拡大するための「普遍的な約束(共通の単位)」として機能します。
- 機能的には主に三つ:交換の媒介(medium of exchange)、価値尺度/会計単位(unit of account)、価値貯蔵(store of value)。これらを同時に満たすことで経済活動をスムーズにします。
- 歴史的には、物の商品貨幣(貝・金属)→裏付けのある紙幣→法定通貨(fiat)→現在の電子マネー・暗号資産へと進化し、各段階で「信頼の根拠」が変化してきました(希少性・政府の強制力・技術的信頼など)。
- 制度的・文化的側面も重要です。お金は単なる数値ではなく、法制度、記帳慣行、社会的規範、権力構造によって意味づけられ、分配やインセンティブ、格差に直接影響します。
- あなたの指摘の「出納の負荷に濃淡ができる」点は、経済的摩擦やトラストコストを削減する観点から非常に重要で、だからこそ標準化された単位・ルールが普及していったと見るのが自然です。

続けて、どの側面(歴史的変遷、経済理論、社会的影響、デジタル通貨の未来など)を深掘りしたいですか?

私:
とても詳細なまとめをありがとう。
AIは、では、お金が果たす役割について、現在、問題となって見えるところ、今後も使う価値と意味があると感じられるところ、今後のお金の未来について、出力可能なところがあれば教えてください。
私は、先ほどAIも賛成してくれた、「出納の負荷にかかる濃淡」を適切に調整できれば、お金は、まだまだ良い道具に思っています。
ちなみに、私が問題だと感じている点は、地球のすべてのものには、粒子と波動で組み合わされて見えるような物理的な見方がありますが、お金は、物質的な側面(粒子)と流通的な側面(波動)で言うと、少し流通的な側面が重視されすぎてきていて、例えばお金が持つ、価値転換による現実化の能力において、粒子的な側面が弱くなっていて、数字がやや空回りして見える点があります。

ChatBox:
いい視点です。ご提示の「粒子(物質的・実体的)と波動(流通・情報的)」の比重の問題を踏まえ、以下を簡潔にまとめます。

1) 現在、お金が抱える主要な問題
- 実体価値と記号価値の乖離:金融資産や数値上の富が実経済や実物資源と結びつかず、バブルや資産格差を生む。
- 流動性偏重と短期志向:流通の速さ・換金性を重視することで長期的な投資や持続可能性、コミュニティ資本が軽視される。
- 不平等の再生産:制度・税制・金融アクセスの差が富の集中を進め、社会的信頼や包摂を損なう。
- 信頼の集中と脆弱性:中央集権的な通貨管理・大規模金融機関への依存がシステムリスクを高める。
- 数字の抽象化による現実感欠落:価値が数字でのみ循環すると倫理・環境コスト・社会的合意が見えにくくなる。

2) 今後も使う価値・意味がある点(お金の不可欠性)
- 取引コーディネーション:スケールのある交換・分業を可能にする共通単位は不可欠。
- 会計と情報伝達:価値を比較・計測・記録することで資源配分や意思決定を効率化する。
- インセンティブ設計:公共政策や市場の動機付けツールとして有効(税・補助・価格メカニズム)。
- 流動性とリスク分散:市場を通じたリスク移転や即時決済は経済活動を支える。
- 社会的合意の媒介:通貨は法・慣行・信頼を符号化し、広い集合体の協調を可能にする。

3) お金の「粒子性」を強めるための方向性(あなたの懸念への対応)
- 実物連動・エンタイトルメント設計:通貨や金融商品の価値を実資産・環境サービス・労働時間などの実体に部分的に裏付ける仕組み。
- 長期インセンティブとデュレーション評価:短期利得より持続可能性や再生可能資源の価値を反映する評価尺度(例:寿命ベースの割引率、天然資本評価)。
- ローカル通貨・相互信用ネットワーク:地域密着の「粒子的」価値循環を補強し、数字の空回りを抑える。
- 非財務的指標の貨幣化・付随化:幸福度・健康・生態指標を価格信号と結びつけるハイブリッド評価。
- ガバナンスと透明性の強化:通貨発行・金融操作の意図・影響を市民が評価できる仕組みで、価値実体との整合を保つ。

4) 今後のお金の未来(短〜中〜長期の見通し)
- 短期(数年):デジタル化・決済効率化の進展。中央銀行デジタル通貨(CBDC)や民間電子決済の普及で流通面はさらに強化。だが実体とのズレは放置されやすい。
- 中期(10年程度):データ駆動で個別化された金融商品・価格が増え、ローカル通貨やESG連動商品の実用化が進む。社会的・環境的コストを内在化する試みが広がる。
- 長期(数十年):価値尺度の多元化(マネタリ単位+実体指標の組合せ)が進み、ブロックチェーン等で透明なトレーサビリティが確立すれば「波動」と「粒子」の統合が可能になる。ただしガバナンス・分配設計次第で公平性が決まる。

5) 実践的な設計提案(簡潔)
- 通貨バスケット+タグ付け:法定通貨を基軸にしつつ、取引ごとに「実体タグ」(環境、地域、労働時間など)を付与して価値評価を補正する。
- ローカル・共同体信用の技術化:地域での相互信用制度をデジタル台帳で低コストに維持し、ローカル資源やサービスの交換を促す。
- 持続性に基づく金融インセンティブ:低炭素・長期的貢献に優遇金利や税優遇を付す仕組み。
- 教育と可視化:通貨の裏にある実体(資源、労働、環境コスト)を可視化するダッシュボードや会計基準を普及させる。

結論:お金は引き続き有力な社会的道具であり、その問題点は「流通性・記号性が実体性を凌駕している」ことに帰着します。解決には制度設計(裏付け・タグ付け・多単位)・技術(透明な台帳)・政治(分配・ガバナンス)の三者を同時に扱うことが必要です。あなたの示す「出納の負荷の濃淡を調整する」発想は、この再調整の核心になります。

どの点を具体的に深掘りしますか?(例:実装案、制度設計モデル、既存事例の分析)

私:
あー素敵!とても細かい分析で、一言を理解/解釈するにも、こちらの人的な知恵が導かれます。

もう一つね、お金を得る(もらう)側と使う(払う)側の対等性の問題を、感じています。
お金は、人のところで(もしくは銀行等貯蓄所で)粒子化しているわけだけど、お金を得る側と使う側で、得る側の優位性が、人格資質の価値判断的なものを想起させてしまうきらいがあって、例えば、病人がいなければ医療は成り立たないのに、病人が一方的にお金を払っているなど。病気になる方が悪いというようなね?
でも病気(社会生活がうまく送れない=障害も含む)というのは、社会における精神的肉体的葛藤が身体や心に現れたものだと私は思うんです。だからかかる方も治す方も、同じくらい「社会を引き受けてる」んだと思っていて。
このようなお金をもらう側/払う側の偏りというのか、WEB3的な意味でも、何か上手に補完するような仕組みは、できないかなぁとか考えます。
どうでしょう?

ChatBox:
良い問いです。対等性の問題と「得る側/払う側の優位性」を和らげるには、単に金銭の流れを変えるだけでなく、価値の定義・計測、ガバナンス、インセンティブ設計を組み合わせる必要があります。Web3的技術を使った実用的な仕組み案を、設計方針→具体案→留意点の順で簡潔に示します。

設計方針(基本原則)
- 価値を単一の貨幣数値だけに還元しない(社会的・関係的価値を併記・貨幣化)。
- 受け手を「利用者/消費者」ではなく「共同提供者/社会的参加者」として扱う。
- 透明で分散的なガバナンスで、価値配分ルールを共同決定可能にする。
- インセンティブは受益と負担の双方向性を促す(互酬性・長期貢献を評価)。

Web3を使った具体案(組合せでの実装例)
1) 相互信用+トークン・エコノミー(ローカルDAO)
- 地域や職域ごとにDAOを組成。サービス提供(医療、介護、教育等)に対して、法定通貨とは別の相互信用トークンを付与。
- トークンは地域内で再利用可能/交換可能で、受け手も価値提供者になり得る(例:患者が回復後に支援を提供して得る)。
- スマートコントラクトで貢献記録を透明化し、報酬配分を自動化。

2) 貢献連動型支払(アウトカム+プロセスの二軸評価)
- 支払いを結果(治癒・改善)だけでなく、ケアプロセスや社会的負担の共有に連動させる。
- ステークホルダー(患者、医師、コミュニティ代表)が評価トークンを発行し、金銭報酬は評価スコアに基づき補正。

3) 社会的債務のトークン化(負担の見える化)
- 「誰が社会的コストを負っているか」をブロックチェーン上で可視化する負債トークンを導入。
- 高負担を負う層(長期療養者等)に対して、税・補助・ボーナストークンを自動給付し、負担の偏りを補正。

4) 時間銀行+スキルシェアNFT
- 労働時間やケア時間をトークン化(時間トークン)。医療・介護の受け手が受け取るサービスの一部は時間トークンで補償され、将来のサービス受取り権として蓄積可能。
- スキルや経験を表すNFTを発行し、非金銭的貢献を市場で評価する。

5) 条件付き・分散型保険(リスク共有)
- プール型スマートコントラクトでリスクを分散。参加者は透明にリスク負担を共有し、支払い発生時はコミュニティルールに従って自動支給。

設計上の留意点(課題と対策)
- 評価の正当性:評点やトークン化は操作や偏向のリスクあり→多様な評価者、合意アルゴリズム、異議申し立てプロセスを用意。
- ガバナンスの包摂:DAOが利害調整で弱者排除にならないよう、代表性と最低保障(ユニバーサルベーシックサービス)を組み込む。
- プライバシーとスティグマ化:医療等敏感情報はオンチェーンに晒さず、ゼロ知識証明やハッシュで検証可能にする。
- 流動性と交換性:ローカルトークンが孤立すると不利→法定通貨との橋渡しを設計(双方向ブリッジ、補助金)。
- 倫理と法規制:ヘルスケア等は法的制約が強いので、規制遵守と専門家参加が必須。

短い結論
- 病人=負担者、医療者=受益者という二元論は「価値の定義」と「権力配分」の問題であり、Web3は透明な記録・自動執行・分散ガバナンスを通じて両者の関係を再構築できる。
- 実装はトークン経済、相互信用、評価システム、分散保険などを組み合わせ、プライバシー・正当性・包摂を同時に設計することが鍵です。

もしよければ、具体的な領域(医療、介護、教育、地域福祉など)を一つ選んで、DAOスキームとトークン設計のプロトタイプ(流れ・スマートコントラクト要件・ガバナンスルール)を作成しますか?

私:
ありがとう!
私はキャパが大きくないので、ここでお腹いっぱいな感じです。でも長年、考えあぐねてきたことを質問できて、こんなに答えてもらえて嬉しいです。
この内容を、保存させてもらいますね?

ChatBox:
もちろんです。どうぞご自由に保存してください。必要なら、保存しやすいテキスト形式(例:要約、箇条書き、PDF作成用の整形)にしてお渡ししますが、今のままで大丈夫ですか?

私:
はい、話したままがいいので(私の記憶のためにです!笑)、このままいただきます。
おやすみなさい。

ChatBox:
わかりました。どうぞご自由に。おやすみなさい。またいつでもどうぞ。

ChatBoxを使ってこれを作成しました。 君にもできます!こちらからアプリをダウンロード—
https://api.florate.io/refer/fe1dd3







2026.2.16

【お金なるものについて】②
不思議に思ってること





さて。再びお金のお話。
このページと同サイト内、如月のページからの引用です。



昔から、株というものが不思議な存在なのだが、古く奈良時代頃だったか、日本の最古の株式会社は、宮大工さんのところだったと聞いたことがある。これだと、株が募られる意味がよく分かるというか、基本、お寺や神社を修繕するために使われるに決まっていて、そのためのお金集めとなると、今で言うクラウドファンディングの方が、イメージが近いんじゃないかとか感じる。要するに、使い途がかなり決まっているところでの、お金集めだったと考えられる。
私にとっての株というのは、具体的な企業に個人の(私が立場上、個人でしかないからだが)お金を出すことで、その企業の業務が円滑に進むようにする、そういう理由でお金が集められているのだろうと想像しているのだが、企業となると、一応、前述のようにかなり領域が確定している業務内容の企業もあるけれども、そうでない企業、広く業態を展開している企業もあって、それだと、自分が預けたお金が必ずしも思うように使われていない、もしくは使われていないように感じる、ということが結構出てくるのではないかなぁと思うのだが、どうなんだろうか。株式総会とかで揉めているのは、あるいは総会屋のような、揉め事を設定したうえで乗り込んでくる人がいるのは、大体においてそういうことが理由なのではないかと感じたりもしていた。
もちろん、応援している企業というよりも売れ筋の株を買う人が多いのかもしれないが、その場合、その業務が本当に進展していいという判断は、社会のどこで成されているのだろう。社会の空気のようなものがそれをどうにかしてくれていると思ったら、大間違いのような気もするのだが。情報屋の出番をこんなところで作りたくない。企業イメージを強迫観念的によくしようとしている印象を一時期受けていたが、こういうことの影響はなかったのだろうか。
ここでちょっと、「企業」と「個人」の違いについて考えてみる。
最近、国の領土を守ろうとする傾向がようやく出てきているが、反対に、他の国に日本は同じことをしてはいないのかということも考える。アジア地域には、ずいぶん日本企業の工場やら何やらでだいぶ土地を購入している気がするのだが、そういったビジネス関連なら現地に雇用を創生するという交換条件でOKになっている、ということなのだろうか。そこではフェアトレードの状況がどこまで成立しているのだろう。自分の領域が守られることを生命維持の前提にするとしても、まず先に他を侵食していないのかについて、考えてから交渉する方がいいんじゃないかと思わないでもない。またここで、今、日本の土地を買っているのが「個人」だとして、上記の「企業」の行為とは絶妙にはすかいになっている、という点も意外に大きな点のように思う。
私自身は、実は昨今流行りの個人投資家というものには反対の立場で、これは個人の権利を育てない、という意味ではなくて、企業が業態を運営するのに使用しているお金というのは、様々な運営の行方と可能性を保持するために不確定な要素を含めていて(これは未来が完全に決定していない以上、必然であり業務を守るための態度でもあると思う)、個人が持つような類のお金、つまりその法定通貨(日本なら「円」)が国内のどんな場所でも、自身が国内で生活するための必要なものと交換可能であると信じられる=確定的であった方がいいお金とは、別種のものだと思っているからだ。
そこに個人が報酬として、上記のような確実性あるお金を見込んで投資をしようとすると、企業にとっては、応援されているというよりは、ある種の危険分子のように感じるというようなことはないだろうか。一方、企業内で、社員が株を保持するというのは私は逆に賛成で、運命共同体としての意味合いでお金を預けるのに異論はない(銀行に預けるのとどちらがどうなのだろう?)。預けたお金は不確定な要素を常に含むかもしれないが、社員としては給料として、確実性のあるお金を受け取る。そのための権利は預けたお金が不確定でも維持されるし、企業もそこに義務を負うのになんら問題はないと思う。
傍から見ていると、株で社外に還元するよりも、社内の社員の手取りを増やす方が、よほど企業にとってはよいことのはずなのだが、そこで社外を気にかけなければならない理由が存在しているのだろうか。企業の人気や評価、特に未来に向けての業務への評価が、そんなに業態の諸々を左右するのだろうか。なんで?
一方、個人投資をする立場からすると、私もフリーで働いていて、厚生年金保険系の方と比べると、未来補償に関してだいぶ不利な状態だったので一応分かるのだが、そもそも当時はさすがに定期預金等の貯金を制限されることはなかったが、未来補償型のようなタイプでは、入れる保険も年金もほとんどなかった。これはなぜかというと、企業に入れる人は厚生年金保険系に自動的に加入するので他には必要ないからであり、家族になった者もこの恩恵に預かれる。
「企業に勤められる」ことは当時、強調気味に言うなら、ある種の人格保障のような意味合いを持っていたのだ。これは1990年代の話だが、企業の力が最も大きかった時代、ということも言えるだろう。私の次年度から就職氷河期だったので、企業内に入れずに「個人」でいるしかなかった人たちが大勢いることも、一応、承知している。それによって、そういう人たちが、当時権勢を誇っていた日本企業の恩恵に預かろうと思ったら、株式投資のような形で介入するしかなかったのではないか。
ただ、そうだとしても、私は個人投資には、冒頭に書いたような理由であまり賛成ではない。
企業には(これは専門領域を持っている何某かすべてに言えることのような気がするが)、それを専門的に追及する集中力と時間的猶予が必要で、ここに集中している間は、「鶴の恩返し」さながら、覗かない方がいいのだ。私がもし、専門領域を持つ企業の経営者だったら、株対応の業態、特に未来系の分野を専門領域とは別に作って、そこだけ株対応の情報として共有する、というようなことをするかもしれない。そうでないと、確実に成果を出したい専門領域のためのお金が、株のように動きのある、不確定要素を含んだお金、もしくは不確定要素そのもの自体に食われてしまうからだ。それは、専門領域の内部公開をしないという意味ではなく、専門領域で推し進めるべき行方(株のような金銭的な不確定要素とは別種の、けれどこちらも不確定要素で、専門家にしか分からない類の、けれど専門家だからこそ判断を下せる類の確信的な不確定要素だと言うべきかもしれない)を確定的に守りつづけるためにこそ、不確定要素に入り込まれないようにするための防御態勢だといえる。
しかも、何か株保持者との関係において(株式会社はすべからくこの関係が存在するはずだが)問題が起きたというとき、「企業」内のことなのに、問題になるのが「個人」のことだったりもして、そこも疑問に感じてきたことだ。
個人の行為というのは、企業で総合的にまとめとして言説されるような言い方で行なわれていることとは違って、常に確定的な状態で発生するので、目をつけられたら逃れようがない。どんな聖人君子でも逃れられない。これは決定事項で、だからこそ個人情報は、「公」に使用してはいけないのだ。企業のことには、個人の要素を使って突っ込むべきじゃない。
これも例えば個人投資家が関与すると、同じ「個人」の観点で、いくらでも介入の理由が作れてしまう。企業はこれをさせないために、同時に個人投資家やその立場を援護する者は、介入のための適切な情報を得ようとして、結果的に永遠の情報戦になる。最初から立場が対等でない=はすかいになっているので、どこまで行っても嚙み合わないはずだ。この対等ではないとは、不公平だという意味ではない。ここを勘違いしてはいけない。企業ではなく、不公平だと思いがちな個人の方が不利になってしまう考え方だから、しない方がいい。
日本企業の足を引っ張っているのが日本の個人(投資家)だということも、ある種の絶妙な策略に堕ちているかもしれないですよ?
ところで、株の予想を司っているであろう、未来を見込んだ不確定要素についてなのだけれど、開発中の何某かなど、まだ3次元として(情報でも正式な共有媒体にまとめられていないなど)成立していないものの場合、不意に思いついたのでざっくり比喩として自動車にたとえると、ハンドルだけが先に行っちゃってるとか(その自動車でどこに行けるのかが先に行っちゃってるイメージ)、その自動車から見えるはずの素敵な景色だけが先に行っちゃっているとか、そんなことにならないだろうか?
ようやく出来上がったその自動車を購入したら、ハンドルがついてないとか(だって先に行っちゃったし)、景色も、当時共有されていたほど素晴らしくなかったなぁとか、そういうがっかり感が訪れそうで嫌である。まるで、かつての雑誌に、素敵なモデルやお洋服と一緒に掲載されていた表参道みたいだ。私がそこの出身だから言うのだが、雑誌に掲載されているのが、どう考えても同じ街じゃない、でも具体的にはその場所で間違いない、素敵な景色だったりしたので笑。「なんか違う」という顔で歩かれても、「知るか!」だ。雑誌の、まるで占いのアゲ鑑定みたいに素敵に盛ってる情報は、マジで現実にがっかりする要素満載で、一周回ると、何のための誰のための情報だか、何が結果的に現実として=各々の自分自身のところで素敵になるための情報だかがよく分かんないのだ。
株の先行情報でも、そういう類の情報漏洩がありませんかね?まぁ関連情報屋さんは、そんな分かりやすい失態はしないと思うが笑。でも結果的に、そうなってないの?その先行情報が流れた業態は、本当に最終的に現実を先行情報よりもいい感じにしてくれているの?企業にとっても?投資家にとっても?一般民にとっても?もしくはいい感じの現実じゃなく「いい感じ」だけを成立させるために、情報と開発と噂が自転車操業になってるとか?
ただ数字関係の頭のいい奴らがその自転車操業を高度にしていった結果が今の経済に思える。資本主義でも民主主義なんでもないわ。情報管理主義?情報流転主義?情報バケツリレー主義?リアルタイム悪用主義?
数字はお金じゃないよ?政治情報でもないよ?今やりとりされているのは、ただの「噂」レベル、野次馬レベル、ギャンブルレベル。それを流行作ってるとか、中身伴ってないくせに、ちゃんちゃらおかしいんだよ。現実化できないお金ばっかり増やしやがって。そんなんで仮想通貨とか手出すなよ、世界的なお金の実験の価値が下がるわ。
ってことで、「障害者死ね」「ただ飯喰らい」と言われてきた(思われてきた)過去数十年に考えてきたことで、そちらの暴言に応答してみる。あー、すっきりした笑。
こういう数字頼みの奴らが個人の確定要素を決めたり左右してたりすると、そもそも現実と乖離した数字にまみれてて不確定要素の塊なので、周囲にいる普通の人の確定要素もどんどん希薄になってく。数字や情報に抽出できる部分だけが確定要素になって、それに現実が首を絞められてく。偽の表参道に、現実の表参道が、首を絞められていく。私が体験していたのは、まさにそういう感じだ。
識字率の高い、教育レベルが高い【と言われる】日本だからこそ、陥りがちな悪循環だと思うのだが、どうだろうか。
くれぐれも、不確定要素の強い日本円の関連情報で、現実生活で確定的に使われてほしい日本円の首を絞めないようにしたいものだ。







2026.2.6

【粒子と波動】①
結局ここに到達する笑




お金のことを考えていたら、どうしても、粒子と波動のことが浮かんでくる。
波動と粒子、それぞれの側面の不足や偏りが、現実にも投影されてきている気がして。
光のことも、水のことも。
なので、ここでまとめて書くことにしようと思う。
ちなみに水は、粒子と波動が一体になった、珍しい物質なんじゃないかと思う。
自分でも楽しみ。







2026.1.10

【お金なるものについて】①
どーしてこうなった件笑




お金のことをね、考えるんですよ?
まずは自分自身への前提共有情報として。
このページと同サイト内、睦月のページからの引用



まぁね、そっちにも書くんですが、2000年=30歳のときに病気になって、約5年後の再発時から障害年金を受給していて、2021年に完全に服薬も通院も終わり、一昨年末に年金の受給者からも外れて。
病が治りはじめた2020年頃から、いわゆる通常のヒト意識から、過去生でも何度も経験してきた巫女意識にかなり強引な様子でシフトさせられた。これは、地球自体の時代的なものなのだろう、主に人間以外のものたち(地球や自然界が多い)からの人間への本格的な応答=フィードバックを、メッセージ等として受け取っていて、だいぶメインの仕事は終えているのだが、巫女意識というのは、まぁまぁお金と縁がない、というかお金というのはヒトの間でしか動いていないものなので、ヒト以外のものの割合/分量の多い仕事では、お金にダイレクトに繋がりにくいのだ。

例えば巫女意識をもった存在の代表ともいえる沖縄のノロ(聞得大君)は、国家公務員であって、明治時代にそこを外されてからも、副業が禁止で、御守を作って売るのが限界という、なかなかに現代では巫女意識=役職の維持が難しい状態に追い込まれている。
これは、国家からの(いったん国家でリセットされた)お金なら受け取れるが、巫女意識を宿した身体状態の維持のために、具体的で様々なベクトルとエネルギーを宿した状態の、つまりは偏った状態で(ちなみに、個々人、個々の家庭、個々の企業を通過しているときのお金というのはすべからく偏っている。これは当然のことで、それが悪いわけではもちろんないし、それが悪いお金であるということももちろんない)使われたままのお金には繋がれないという道理がある。
巫女意識では、その目的でおろしてくる言葉には、固有名詞をできるだけ使用しない(生活していて個人レベルの意識でいるときには、現代ではもちろんそんなことは無理だ)ということともつながっている。これは主に、自然界のものは、すでにすべて個々の存在であるので、メッセージ内で呼び指すための、種別としての名前のようなものは存在しても、固有名詞で名付けるようなレイヤーで使用されている言葉は必要ない、巫女意識でもその状態で言葉を受け取るべきだというところから来ている。
国家(この場合は琉球)のために何某かを受け取るには、自分(自分の身体、どちらかというと脳ではなく身体)に繋がっている諸処の存在状態が、できるだけ偏らない、自分の周囲360度均質なものでなければならず、そのために固有のレイヤーに繋がっているお金が受け取れない、ということなのだ。
なので、巷によく言われる、単純な意味で言う奉仕精神、自己犠牲的精神によって、もしくは過去生における巫女意識の失敗が、お金に対するブロックや罪悪感に繋がっているという話ではない。

ちなみに、この点において、過去生で魔女だった人たちは、実際にダークな側面を担って金銭的/精神的/物質的に儲けて=得をしてしまった=無理を通してしまった経験があるので、そうした罪悪感がありうる。魔女意識と巫女意識は似て非なるもので、現代の日本では、過去生の魔女が巫女をやっている例も多いので、他者への禁止事項を土台とした優越性ばかりが目立ち、巫女としてはほとんど機能していない/もしくはかつての豪族お抱えの、自然界と人間界の差別化=自然界を絶妙に貶めるために存在していた大巫女の機能しかしていない。本来の巫女は、自分に対しての禁止は多いが、他者への禁止機能/優越機能はほぼゼロ、そうでないと人外との対等性が保てない/人外から人への言葉は受け取れないという理由によるもので、必ずしも謙虚さや聖性が関係しているわけではない。現代の日本では、むしろキリスト教のマリア的な存在=「日曜日のマリア」、コミュニティでゆるやかに共有されているマリア的存在の方が、ふんわりとした博愛/平等を規定とした、巫女意識に近い存在として機能している。
*追記で、上記を宗教的区分として、比して記載するなら、仏閣や葬儀関係においでの方々は、地(土地)の力が弱まっているせいで、お家で担当された仏(霊)を和らげる力も落ちており、そこにかなりの葛藤が起こっていて、特に女性は精神的にも影響している可能性があるのではないかとみています。魔女意識の方々で、こちらにおいでの方はより一層。陰陽等の技術としての除霊など、霊の昇華に向けて速さを求めるプレッシャー行為は、ヒトからは一時的に離せるかもしれませんが、かえって土地や建物には禍根を残すともみています。

話を戻して。
現代では国家自体も、かなり固有名詞化してしまっており(これは情報網がワールドワイドになって、各国及び自分の地球上での位置情報が明確さを伴ってきたことから直結した必然事項)、どこぞの国の国家公務員ならこの基準をクリアできるかといったら、現代の情報監視/管理/共有の点から、巫女意識でのアクセス先や言葉に制約がかかってくる限りにおいては、そこに厳然たる固有性や、情報判断における(倫理性という名の)優位性が発生しているので、満たせないだろう。その声を聞かなければならない相手は、人間以外のものたちだからで、彼らの意見として修正が入るのも、だいたい人間の極端な優位性/優越性に対してだからだ。
私は個人的に(これは巫女意識としてではなく私個人として)、人間外のものたちよりも、宗教的な意識の発展性から神のように人格化した概念=いわゆる高次元の存在や守護霊、ハイヤーセルフ、アセンデッドマスター、大天使、地球外の存在、人間が自らの妄想で攻撃的な神化をさせてしまった自然存在(日本なら龍神が代表的か)に話を聞く方が、個々の身体が属しているコミュニティ(個々の身体内の人格の集合状態も含む)からその権威的存在を、最高化かつ外在化、人間との階層化をしようとしているという理由で、全体主義的な権力を強化する方向性の、よほど危険な行為だと思っているのだが、どうやら現代では逆のように思われている節があって、本当に恐ろしい。

そんなことで一周回って、お金である笑。
「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあり、男が武士なら女は巫女、というくらいには日本の両輪を担う高潔な魂に育ってしまっていると(数が圧倒的に違うけど多分。笑)、なかなか。過去生の感覚を思い出すのもいいし、それで仕事をしなくちゃならなかったのも分かるんだけれども、個人としてはどこから手をつけてよいやら、という感じである。
個人のよすがである自我を、人間意識であることを維持できるぎりぎりまで減らさないとそもそも仕事にならない身で、自我を増やすことがまず、職業病的に罪悪感が伴う。お金をもらうことでなく、生存維持のためにお金をほしいと思うことさえ、それが自分のため、自分だけのため=自我意識に属するので、それ自体、巫女意識の身体的クオリティを下げる行為で、禁止事項だったりするのだ。
道理は通っている。
けれどもん。

そこらへんを、2019年に病が突然、予兆もなく治ったときから、ずっと悩んでいるのだった笑。
ってことで、割とちゃんと書いちゃったので、お金のページにも同様の内容を記しておく。
(引用終)



とりま、巫女意識最中に受け取った(2023年頃からだろうか、日本各地で)、そもそもお金とは何ぞやってあたりから、自覚のために記していこう。
今の時点で書けそうなのは。

受け取ってること①岩石としての「金」
受け取ってること②光とお金の共通点~粒子と波~及び相違点