dear me
【2026 睦月】
むつき





2026.1.3


昨年5月から、
dear nobody」と称したサイトを
展開していた。

2000年に聖なるマリア妄想として、
自分だけの救世主を求めて

(それはおそらく私に起きた究極の危機感による)
(究極の危機感が自分の女性性に起こるときというのは、
自分を守るべき男性性が消滅したときなのだろう)
(いわゆる心身ともに起きた強烈な暴露感覚が
ここに至らせた)

脳が病的にさまよった時期に
無理やり眠らせた妄想を、

25年経過した今、
安全なときを待って解放した様子を
制御なしに記していた、

そんなふうにも言えるだろう。

あの時期よりも
対象が具体的でありながら、
求めるヒトが決して一人の人格に
着地しないという点で、
錯乱して見えたかもしれないし、

実際、故今敏監督の『千年女優』のように
永遠にその人を求めて
その放浪してしまう人もいると思う。

本当にその世界に陥った人は、
おそらくその方が幸せなのだ。

だって、
よく言われるように、
本当の意味で自分を守れるのは、
自分だけだから。

今また、
他者に直面しそうになって、
おそらく私は、
その状況から、

病を抜けたあとに
狂うほど求めたその可能性から、
脱走しようとしている。

完全に暴露されきって
狂乱しかけた内面の混乱は
長い長いときをかけて、
ついでに過去生の時間まで借りて
だいぶ整った。

過去生でのつらい記憶も、
だいぶ再解釈できた。

なによりも、
自立した生活が
精神的にはできそうな今、

傷ついた記憶を
これ以上刺激して、
再発するのだけは
どうしても避けたい。

外部で整えられると
思しきところ、
私の脳内につながる、
どこからともなく
来訪した人たちは、

可能なかぎり、
あらゆる次元を使って
楽になれるよう、
尽力した。

私の身体に
この年齢期に限って
課されていたのかもしれない
伝言受け取りの仕事の
ようなものも、

内容的にも、
ほぼ必要性のピークを
超えたと思われる。

自己防御を自分に赦して、
dear me
私自身の中へ。

2022年に家を出たとき
すでに逃げ出したかった。
完遂できるめどなど、
何も立っていなかった。

おそらく、
nobodyを目指す以外に、
推進力が見当たらなかった。

まだ自宅にいたとき、
観音がやってきた時点で、
逃げ出すことは
すでに不可能だった。

ただ今は、
自分にとってのこの難関を、
乗り切った自分を
大事に。