dear me
【2026 弥生】
やよい





2026.3.3







人は、いつ死ぬのだろう。



私が二歳のときに離婚して家を出た実の父は、母親が「長男はどうしても東大」という、私の頃に激化する受験戦争を予見したような願いのもと、三浪して東大に入った。
浪人している間は、親類の経営する化学の会社で働いていた。高校時代に、数学で何某かの発見をしてそちらに進みたかったらしいが、当時の流行で社会の役に立つ勉強を、ということで職場と同じ、化学の分野で入学する。
博士課程を経て、助手だった時期に母親とお見合いで結婚し、私ができるのだが、その年は、化学の領域にとって致命的な「公害病」の認定が初めて、続けて二つ下りた頃だった。国の方針、ひいては東大の方針に疑問を持った父は、そのための運動を発端に、日米安保を主たるテーマとした、七〇年安保と呼ばれた東大闘争に入っていく。
運動のために家計のお金を使いこみはじめた、という理由で、離婚に至るらしいのだが、私はこの傾倒の理由の一つに、三浪という肩書が影響したのではないかと思っている。もちろん、研究の分野では年齢はあまり関係ない、と思うこともできるのだが、国や帝大の仕事という側面に関しては、現役を先頭とする暗黙の年功序列が、卒業後の進路に対してプレッシャーになったことは想像に難くない。
抵抗運動を助手のまま(運動をやめることと引き換えに昇級する打診は何度かあったようだが、それはむしろ父の神経を逆なでしたらしい)、定年後も東大に居つづけたままで、強制退去させられないように、数室の研究室と自宅を堆いゴミ屋敷状態にして孤独死した。
東大に入学して、やっと母親の願いから解放されたというのに、敷かれたレールの影響からは、結局生涯、外れることができなかったように思う。

私は、小学校低学年まで数度のデートを敢行させられたが、四歳の一年間、母親が音楽方面での海外留学をしている間に、同居していた祖母と二人で暮らした期間があり、その間に祖母が倒れたときに、生まれて初めて電話帳の片隅にあった父親の連絡先に必死に、重い黒電話のダイヤルを回して来てもらったことがあり、父は家まで来て救急車は呼んでくれたが、玄関から決して中に入らない姿が(母との約束があったのかもしれないが)とても印象的だった。
それ以上、デート時も何も頼る気にならずに、九歳で義理の父親が来てからは完全に疎遠になっていて、そうすべきだと思ったので思い出すこともなかった。それを急に二十歳のときに大人になった記念ということで?父への連絡を勧められ、父の死が、会ったこともない父の兄弟からの電報で届いたのは、細々と文通による連絡だけはとっていた時期だった。

その頃、父は定年制に関する裁判を戦っており、とうとう最高裁までいっていた。
担当してくださった国選弁護人の方に、父の死後お話を伺ったとき、裁判の内容が、職場の定年制に天井を設けない、つまり生涯現役という提示だったことで、完全な意味での勝ち目はなかった裁判らしいが、別に嫌味としてではなく「面白いと思ったんですけれどねぇ」と仰っていて、実際に父の死後、東大の一部の職種の定年は数年延びた。
父の身体は発見時、完全にミイラになっていたが、警察の捜査で、自室のファックスの最終チェック時を基準に、死亡推定日はこの最高裁の判決がおりて割とすぐの頃で、死後約半年と判定された。
司法解剖は、まぁできる状態ではなかったが一応やっていただき、典型的な心臓発作となった。最期、相当苦しんだのではないかと言われたが、その割には、最初に警察の安置所で対面したミイラの両足は、足元にたたまれた布団に揃って直角にきれいにかけられていて、棺桶に入れるのに膝から上を削って押し込めなくてはならないくらいだった。

部屋のゴミ屋敷の惨状を、大家さんから早く片付けてほしいと言われた私は、呆然と眺めている暇すらなく対処していったが、あまりに雑然としていて、一方で謎解きのように残された材料もあって、件の刑事もののテレビドラマのように、どうやら母がそれを私に望んでいたように、父を忍んだ復讐者として素人推理することだって不可能ではなかったと思うが、何か、家にも職場にも、単なる膨大なゴミ由来ということだけではなく、とても混沌としたベクトルが散乱していて、つまりすぐに、もしくは短期間では、ほどけていくような状況には感じられず、それらをただ心のシャッターに納めて保留した。何も、ジャッジせずに。

室内は、死後ひと夏超えていたので、父の身体を食べつくしたウジ虫の成虫の膨大な量の死骸が、片隅に置いてあったアップライトのピアノの鍵盤の奥にまで詰まっているような状態だった。
私が生前のお誕生日に贈った、小さな焼き物の小皿とぐい呑みは、タオルに厳重に包まれて、洋服ダンスの引き出しの奥の奥にしまわれていた。
幾度もの作業を各種業者さんにも手伝っていただいて、原状復帰のために畳を取り換えたり清掃消毒まで行なって、最後は何もなかったようにきれいになった部屋を不思議な気持ちで眺めたが、長く、死臭が鼻に残った。

父の死は、死亡推定時からするとノストラダムスの大予言の前年だったが、あれから四半世紀経って、特に二十年を超えた頃から、少しずつ死に至った手がかりが暗示のようにもたらされるようになった。
単なる病死ではなかった、というようなことだ。



『安楽死特区』という新作映画を、この手がかりの、まるで父の死の、そして社会を逸脱しても無言で静かに取り組んできたその弔いの、収束を予期させるような様々なセレンディピティを経て、東京から離れた地域に滞在している間に、本当に偶然、鑑賞することができた。
母親が、長くかかった祖母の介護の果てに、安楽死に賛成の立場で、私にも度々そのように話していて、しかし私自身はずっと態度を保留してきていた。あまりにも、判断の難しい案件だからだ。あまりにも個々の事例に準拠するような案件だからだ。この映画でも、幾つかのとても繊細な事例を、そして施設において出会う他者の事例との、否応ない比較や交流による効果も取り扱っていた。
映画鑑賞後に浮かんだのが、冒頭の「人はいつ死ぬのか」という問いだった。

父のことで言うなら、やっと、今ならこう言える。
父が真の意味で死んだのは、最高裁の判決が下ったときなのではなかろうかって。
父の戦いは、様々な視点を組み合わせて、最終的に「国のため」という側面があったはずで、その国に拒絶された感覚、何も変えられなかった、何も現実化できなかったトリックスターとしての自分に対するその絶望が、父を死に至らしめたのではないかと。



父が身体が死に至るまでの、幾つもの、幾人もを経て引かれていったトリガーは、父が自分では終わらせられなかった複雑な物語を可能なかぎり穏便に、そして周囲で生きた者の側の正当性をもって終わらせるために、慎重に周到に沈黙のうちに用意され、各々に静かに引かれていったに過ぎない。丁寧に、細かく、その役割を分けられて。父の首にかけられたのかもしれない指の力ですら、決定的な死はもたらさなかった。
そのように言うと、トリガーに関わった方々、あるいはそれを疑われた方々には軽く聴こえるかもしれないが、あれから四半世紀経って、昨年、唐突に、父が悩み苦しんできた化学に関する、かつての大国国家間の冷戦やどこまでも続くと思われた二元論を下地に敷いた根深い葛藤への突破口が出現したときに、そう思ったのだ。
そして、太陽系の惑星運行上、この時代になるまで、決して葛藤に対する答えも解法のルートも、見えるものではなかったのだ、ということも。

振り返れば映画を鑑賞したのと同じ地域で、星空のきれいな夜の街を歩くなか、この唖然としたような発見の感触を、そして長くかかった葛藤からの解放を、まるですぐそばで父の霊と共振するかのように感じたとき、どれだけ私が安堵したか、簡単には言葉にならないくらいだ。
父とほぼ同時期に学生時代の親友をなくし、その死を普通の状態では受け止められずに、社会から逸脱し、精神病者として障害者として薬漬けになり、いったい何と戦ってきたのかまるで分からないような長い冥いときを、私は本当に「経る」ことができたのだ。
2019年にこれも唐突に病が消えてから、身体から薬を抜くのにも想定しがたい苦痛の数年を経たが、この発見からしばらくして、資格だけが残っていた障害年金も受給期間を終えた。

二十年近く、全身くまなく薬で抑えつけられた身体が、そこから解放されて元通りの五感内臓神経等、すべての身体感覚を取り戻すのに、つまり長く半分眠らされていた身体においての新たな常識を認識する、あらゆるパラメータを想定した環境に対するフレーミングを再設定するために、私は過去生まで使って(これは時間感覚の再フレーミングだ)、滞在する地域も移動して(これは空間感覚の再フレーミングだ)、自分の魂的な経験も、フルパワーですべて使っているんだということ。
今世の常識的な自分ではまるで想定外の対象に、想定外の手段で繋がって、興味深すぎな話が聞けていたりするのも、自分の生命維持のための環境及び経済状況を再フレーミングするためなのだと思う。

それほどに抑圧されていたのだと今だから分かる。
そこからの解法のちからがどれほど凄まじいかも。 

だからこれは別に、天命とか、運命とか、お役目とかじゃなくてね。
私が特にこの期間を経て、大きな何かを成し遂げなくちゃならない、何かを取り返さなくちゃならないなど、この状況を、今の自分を、大きく変えるようなことを一ミリも思っていないのは、そのためだと思われる。

そして、それでいいのだ。
すべてのことが、身体に負荷として引き受ける毎日毎日の中で、周囲の環境に存在する多くの存在に分担され、自然に為すように、為されるように過ぎていく。

BGM:「幾億光年」Omoinotake