【2026 弥生】
やよい
2026.3.20
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BGM:「虹」電気グルーヴ * 来たぜ春分。 海王星がおひつじ座にある今年は、一人ひとりの自己内妄想領域が大事にされていい時期だぜ。 それで、書こうと思ったお金の話を、やっぱり最初はここの日記的ページに書こう。 身近な、暮らしのことだものね。 前にもしかすると書いたかもしれないが、私は小学生ぐらいの頃から、「どうして生きるのにお金が必要なんだろう」と思ってきた。稼いだり、偉くなったり、褒められたかったり、すごいものを作りたかったり、そういうのにはお金でいい。価値を作っている、売っているのだから。 でも、生きるって、その手前にある、すでになくてはならないようなことなのに、そのことにまでどうしてお金を自力で(他力であっても自分まで届いていなかったらしょうがないので、とどのつまり自分までお金が届く状態でいるという意味で自力)持ち合わせて生きなければならないんだろう?生きるって、基本的人権の範囲内に思えるのに。 そんな私に魅力的にうつったのが、ご想像のとおり、「ベーシックインカム」ってやつだ。「基礎収入」とでも訳せばいいのだろうか。生きていれば手に入る、といった種類のお金、及びその仕組みだ。この言葉に出会ったのは多分、大学生に入ったくらいだと思う。 しかし、思ったよりも実現が難しいらしいことも、だんだんと分かってくる。 ①経済方面:そんな莫大なお金の財源はどうするんだ問題 ②道徳倫理方面:人間が働く気を失って怠惰になるに違いない問題 ③幸福とは何か方面:生きるためじゃなく娯楽遊興等に使われる用途問題 ④政治方面→自然法則方面:生存に必要な物資が配給的な共産主義に陥ってそれが全体主義化→摂取物が平板化/均質化した結果、多様性の低下に陥って人間の精神が仕組みごと崩壊しちゃうかもしれない問題 なるほどね。 そこからもう30年以上が経ち、ベーシックインカムに関する実証実験を行なった国はあるが、未だにその方向性には、世界のどこの国の経済の舵も、明快には切られていない。 意外と最後の④が深刻で、結局、農業で言うなら稲作に始まってプランテーションまで、一箇所で同じものを育てつづけるとか、英語が世界の言語を席巻するとか、ドルが世界の経済を席巻するとか、まとまってもしくは分散されていたとしても、大量に同じものがたくさん発生するような仕組みだと、地球の摂理=自然のものごとの分布状態でなくなるので、いわゆる「バベルの塔」が崩壊するようになっているらしい。 ある意味、究極の効率化が、翻って自然状態の破壊につながるということになる。 では、多様性を損なわない、つまり個々人の購買における選択の自由が担保された、生きるための諸々の確保とは。 まぁこういうのっていうのは、思い詰めるほどに均質化していくので、程々にしておくが吉だ。時代が来れば自然と実現される可能性もあるし、この件で言う多様性が、必要量担保されないのであれば、いつまでもそんな時代は来ないのかもしれない。 ところで、私は個人的には、いま日本の政治でまな板に乗っている、食料品/飲料の消費税を(当面2年という期間を区切って)ゼロにするという案に賛成な立場だ。 理由。以下、七つ出てきた。 ①商品の生産に関わる方々、特に原材料のうち生鮮食材系の生産者の方々に、できるだけ遅延しない、遅延に伴う負荷がかかってこないお金で、余裕を持って生産してほしい(そうしたストレスが、生育環境及び生鮮食材には乗ってきやすいので) ②先刻の基礎控除178万円への引き上げによって「収入」のある方々(税申告をする方々)は全員その恩恵に預かれるようになるが(働いている人への恩恵として)、収入のない方々、つまり国からのこうした還付を受けない方々のところでは何も起こらない。働いている人の方が「収入」によって経済的に余裕があると仮定すると、一方で「支出」しかできない人々もいる。生きるために商品を購入するとして、その商品の値段を税率分だけでも下げる=税率によって値段を上げないことによって、生きるために食料飲料を購入するすべての人に恩恵があると考えている ③商品を作る企業側/産出する生産側の、各商品のブランドに当たる部分(生産社名、商品名等や、その商品を大量生産するためのあらゆる開発や生産技術、またはその技術を実行するための工場内設計/稼働機能など)、さらに流通に当たる部分を、それぞれに書籍で言う著作権のようなものとして扱い、商品の値段の中に関わる企業による判断で価格に対する割合として入れ込む。当該の食品のうち、購買者がそのブランド部分を重要と考えるのあれば、そちらにはそれを承知で支出してもらう。そうしたブランド料の部分の少ない商品(例えばスーパーやコンビニのオリジナルブランドなど、販売側による工場生産品のうち、現在でも低価格に作られている基礎的なラインナップなど)は値段が落ちてくるので、ブランド的な意味が食品の購買に必要のない人はそちらを。ちなみに例えば、揚げじゃがいも製品の中でも、どうしてもここのこれじゃないと!!と思う人は、ブランドを買っているに等しいという認識に基づいている。もはやそうした特定の食品を生み出しつづける工場の設計器具は、現代における動く大仏のように尊いものであると、個人的には思える ④値段のタグには上記のブランド及び流通に係る割合を(例えばエコロジカルを目指す衣料品等で試されているように)記して、食品製造流通の経路を明らかにする=同時に安全性の担保につながる。価格表示を、手書きからバーコードやQRコードに転換して、価格の変動に在庫管理に連動したデータで対応、店員さんの手間を減らす。自分の端末や各店舗の専用の貸与端末等による読み取りで確認できるように、もしくは表示の仕様自体をデジタル化して、商品データとの連動をはかる ⑤減税に伴う給付つきということであれば、上記の商品購入価格のうち、ブランド部分を除いた価格にのみ、その給付額が適用されるようにして、残り(ブランド部分)は自分のお財布から自動で振り分けて支出するように、会計プログラムを設計する。個人的に税というのは、就労者を守るためにも、販売を行なっている生産者や企業が納めるのでいいと思っているが、そこまでの単純化が難しいなら、せめてただ生きるために必要な食料飲料に関しては、なくしていいと考える。税を個人のおサイフに適用する=支出責任として転嫁することに、個人の首を絞める以外のどんな意味があるのか知りたい。 ⑥「買いたい(≠解体)」欲求や衝動を日常的に煽らない、ただきちんと生きることに集約したエネルギーのお金を、安定的に国のお金として確保したい。こうした衝動のついたお金のエネルギーをリセットできるのは、国の法定通貨として国に収集され、分配されるお金のみと考える(なので、一定以上の収入があった方々が税金及び還付金の計算上使用する基礎控除額が倍以上に上がったことは、ここを部分を増やすことになるので僥倖であったと思う)。この認識で行くと、国家公務員は常にリセットされた健全なお金を、給与としてもらっていることになる。このことは、どんなタイプであれ年金受給者も同様である。彼らが全般的に堅実な生活傾向にあるのは、単に元の性格によるものだけではないのではないかと感じる。いっそのこと、国で暮らす労働者の方々すべてが、何らかの意味で自分及び自分の周囲を豊かにすることを想定して働いているかと思うので、日本に国籍のある人は全員、国家所属の構成員扱いになって、国で暮らすだけで給与が発生する=経済循環における余計なエネルギーがリセットされたお金が配られるように、生きるため専用のお金として、給付を考えるといいのではないかとすら思う(確かブルネイでは、その国で暮らすだけでお給料がもらえたはず) ⑦それらのお金を受け取るための銀行口座は、一人一口座として、生まれた瞬間の赤ちゃんから発生するようにする。国民一人ひとりの個別の支給、個別の人権を守るためと(これで家族が壊れるとか言う人がいたら、自分以外の家族の諸々を勝手に貸し借り、あるいは外部に売ったりして、結局、心理的な収支としては踏み倒している人が多いのだろう)、国からの貯蓄残高等の確認を罪悪感なく遮るために。逆に、所持金が少ない場合は、国や所属の地方自治体等の所轄に状況を開示して(ここの判断に苦しみそうだけど)、国による援助が個別の各状況に対して適切に機能する方がよいかもしれない。 以前は、こういうことを書くだけ思うだけでやばいと思っていたのだが、それだと考えもルートも現実的に精錬されてこないので、書けるときに書いていったらいいんじゃないかと思う。十分に咀嚼できていないと、つまらない文意にしかならないけど笑。 *写真は高槻市内、上宮天満宮の敷地内に咲いてた梅の花。 |
2026.3.19
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BGM:「Oneway Generation」本田美奈子/「以心伝心しよう」大城光恵/「ハッピーキラ」東川亜希子/「サンキュー。」大原櫻子/「手をたたこう」曽根由希江/「世界はあなたに笑いかけている」Little Glee Monster * 今回は、4年前くらいからやってきていることなどをまとめられそう?だいたいにおいて日本関連。 神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮を久しぶりに訪ねたのは、2021年のことだった。 ゆっくり来たのは、中学生のときの一人旅(旅と言うには近いけど笑、別々に分けて2日間、朝から晩までガッツリ回った)以来で、個人的に好きな古いお寺や神社、切り通し(今考えると、古い木や木材の建物、地層を訪ねていたのかも笑)を訪ねて以来で、神社の地続きの高さにいる御神木とゆっくり会ったのも、それ以来。 訪問前、ふとこの木のことを検索してみたら、以前に御神木だった木は、東日本大震災のちょうど1年前に倒木していた。その記事を読み終えて少しして木前にたどりついたので、前に来たときには泣いてしまった。夫婦らしき鳩が2羽、心配そうに私の足や下向きの顔の真下をうろうろしてくれていた。横には、次の御神木となる予定の若木が、丁重に杭に囲まれて育っていたが、まだまだ太くなるのには時間がかかりそうだ。 「持ちこたえきれなかった」というのが第一声だった。 * ってね、一生懸命書きはじめたんだけど。 書こうと思っていることがなかなか書けずにたまっていくのでー!!! メモにできた分を、まんま載せちゃうのだ。 長期服薬からの脱薬・解毒をある程度行なったあとの体質変化に対応するための生活訓練で、鎌倉市の端っこ、腰越という地域に断続的に長期滞在していたときに、ご神木のモクの代わりに繋がってきた人間のモク笑笑、そのへんー!! 和紙の街、お庭のお家の人なのに、なぜか今は漁業の人。そういうこともある。超大胆異業種交流。 多くがだいぶ大昔に発見した、大好きな曲たちとともに。 * ・神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮の御神木倒木、東日本大震災ジャスト一年前 ・根が土地を持ち堪えきれなかった(振動を最小限に抑える役目) ・御神木の子どもからの個人的なご依頼 ・宗教と御神木との関係? ・人間モクとの連絡開始 ・庭園整備で閉館中の軽井沢のセゾン美術館へ(過去回想:西武開発と星野リゾートの拮抗/プロゴルファー猿/ゴールデンカムイとしてのnobody) ・モクのおじいさんは(庭園設計)庭師さん ・御神木の子どもの方のモクが御神木をやめると言い出した話 ・鎌倉市建長寺内の老大木から自身の役割変更を絶望感とともに伝えられる(金属を含んで生きる方法としての模索→水の命への侵食度の限界により断念) ・金属を含まずに植物だけで耐久力アップを模索→竹(孟宗竹、植物による中国=平らで水が豊かな土地での実験、大阪府高槻市の上宮天満宮ではお社の屋根を竹で作る試み) ・奈良に最初期の水神様ができたと知る(おそらく奈良=最初期の都の自然界を含む壊滅的状況による、滝や清流を守る神社/海を守る神社=水にとって海は金属その他全てを含むことになった苦痛な状態、海水から真水を作ることの難しさ/不可逆性) ・モクは社会性逸脱により(お姉さんの死による)鎌倉で漁師さん修行→私の移動に伴い富山で続きしてたらしい! ・漁業の模索、フィシュル(未利用魚への工夫、加工済みの商品としてサブスク←個人の感想:美味しいです)、森林の育成を参考にした養殖業へのサポート ・漁業を守るための課題、漁業レベルの船舶航行に必要可能なエネルギーは現在中東の石油だけ(南米のものはもう少し動力が下がる、重工物を動かせる代替エネルギーの模索)、船舶上での通信の安全性(現在はスターリンクに船舶個々で契約しているが宇宙との交信はタイムラグとエネルギー負荷と情報流出の懸念→洋上通信の可能性模索、船舶内での完結通信の可能性→金属が付近にある状態でのWi-Fiは既開発) *写真は高槻市内、新築の関西将棋会館なり。夜で手ブレー!!の割にはキレイー!!!(nobodyお気に入り) |
2026.3.8 second
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BGM:「ドミノ」COLTEMONIKHA そうそう、お金の件でね、お金のことをいろいろ書いているからかなぁと思うけれども、お金増やしたいなら投資をしろっていうお達しっていうかお誘いっていうかが猛烈に来ているんだけれども(人間の方面から)、その件について考えたので書こうと思うの。 あ、その前に、さっきの下の改竄の件なんだけれども、改竄と同様、問題になっているのが「虚偽」らしいんだけれども、何をもってして「虚偽」かっていうのは判断が実はとても難しい。ワードだけでは査定すらできないし、ってことで、ただ、彼ら(文字を預かってくれているメディア類、電子画面等、データ領域)が言っているのは、単に噓をつくなということではなく、「真偽(審議じゃないらしい笑)混沌による文字表現の価値の低下」ということを言っている。 文字が預かっているものの全体の価値低下、つまり伝達力もそうだし、影響力もそう、抑止力もそう、ということらしい。そのワードというか、文字列的な力がないのに必死に行使しようとしている感があるらしい。そもそも、虚偽がまじっていて言葉の力が落ちているのに、それをたたきつけあっても、どんどん対話の意味も価値も落ちていくよって。 で、日本語は、いわゆる「比喩的な」表現が多くて、それが虚偽かって言うと、虚偽じゃないわけでって言いかけたら、ちゃんと表現しようとして使っている言語表現じゃなくて、分かって虚偽を文字列で記しているところのことを言っているといってて、ここがどの程度、誰の現実において言っているのか分からないんだけれども。 これね、いちばん分かってるの、自分だからね。でもその影響が、自分だけのところに限って駆動していないよ?っていうことらしい。 言葉の奥行的な(HTMLで言うとz-indexみたいな、レイヤーみたいな感じ?と言うので、レイヤー的なのは間違いないけれども、同質の階層の連続というよりは、奥に行くほど変質した空間のようなものになっていると思うと返したが)話をすると、本心を言わないっていうのは防御のためであったりもするので、そのための虚偽を例えばどの程度、虚偽として扱うかという、いわゆる心理経済的に言うと借金と返済のレベルの話になるのかなぁと思う。例えば、これがもし愛のための嘘だったりすると、それは借金というよりは、自分の中だけで現実としては顕現するかどうか分からない、現実につながるかどうか定かではない、亜空間にでもしている貯蓄なのかもしれないしね。 ってことで。 投資と寄付の個人的な感覚について。 私は割と手元にお金があろうとなかろうと寄付をするタイプの人間らしいのだが、だいたいにおいて、社会の弱者と言われる人たちのプロジェクトや、そうした課題に取り組んでいる組織にしていることが多い。 それは別に対象となっている人がかわいそうとか、そういう人を助ける人が偉いと思ってしているわけじゃなくて、その寄付が、人間が生きることへの肯定感を上げるためのものだと思うのでやっている。つまり、こうしたタイプの寄付は、私にとっては投資なのだ。 リターンは、自分への返金ではないし、自分への社会的評価でもない。言葉にしてみるなら、社会的安全性、社会的安心がより多く含まれる空気感の醸成というような感じだろうか。それが、私にとっての、十分投資価値のあるリターンだってことだ。 私は、お金と幸福の関係について、裕福な人がもうちょっと幸せになっても、お金の動きはいいかもしれないが、幸福を増やす=幸不幸の落差を埋める感覚については、それほどでもなさそうだと思っている。幸福へのポテンシャルの落差が多いところを埋めた方が、はるかに効果が高いのだと認識しているということだ。生存率をそろえる、的なことを目指しているのも、この感覚と同質のものだ。 寄付に関して、寄付したことを口外しないことがなんだか徳を積む、陰徳(隠匿じゃないよ?笑)を積むみたいに言われることがあるが、私は寄付したことを口外すると、その時点で、寄付したお金が適切に機能することよりも「寄付したこと」の方でリターンを自分で得てしまうことになるのでしない。寄付したことへの評価も、同様の意味で必要ない。 預けたお金を、収集したその目的で余すところなく使ってもらって、その手前での謝礼や反省など、こちらへの忖度はいらない。 リターンの状況確認の意味で報告がほしいかなとは思ってきたけれども、ここを虚偽で盛られると最悪なので、大変ならそれも最低限以外のものは必要ない。 「もしかして究極の投資?」ってnobodyが笑っている。 ん?笑。 とりあえず、いわゆるお金の循環内限定の投資は、自分が出したものがどっか回って自分で同質のものを受け取るだけなので、自分のそれ系のポテンシャル削られているだけのようで嫌。 政治系の方から、それ面白いので書いてくださいねー!って言われたから書いたヨ。 写真は、近所の川にいた白いサギ(近年特に、詐欺と混同されるらしくてすごい迷惑そう)がカモ(こっちもカモにされるタイプの比喩がかかっててすっごい迷惑そう。両者とも川にはよくいる鳥なのにね)の横で、コイ(これも恋方面に持っていかれがちで育てられすぎて太りすぎてガチ迷惑らしい)をつついている様子。生物学的には?コイの身体についた虫をサギが食べてるらしく、両者ともにウィンウィンらしいんだけれども?魚が、あるカードでは豊かさの象徴らしくて、鳥(そのカードでは鳥はコミュニケーションの象徴)がそれを食べてるように比喩認識されて鳥が嫌われているか、そういう状況になってるよって言っているらしい。とりあえず目の前で演劇みたいにわざとらしく展開してみたけど、伝わる?人間ってドラマで間接的に伝えるんだよね?って。あ、そうか!なんか、コミュニケーション?している間に、喋ってるうちに、豊かさが言葉になってそこで消費されてるよ?みたいなことを言ってるかもしれない。そんなこと話してるんですか?Facebookみたいやな笑。あれめっちゃSNSにいろいろ食われてると思ったー。 ってこんな感じの話をしていると、さっき書けなかった神聖な話がカケナイワー笑(この時点で神聖性が地に落ちてる笑。複雑な言葉の寄りかかり合いによって決定されているニュアンス。そのうち人間限定ってしないと誤解が起こるような世の中になるんだろうか。。それもナー)。 |
2026.3.8
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BGM:「P.O.P(Popular Or Person)」★STAR GUiTAR 唐突なのだが、7という数字がある。 数列で言うと、6の上で、8の下。 以前に自分のお話の中で、自分のことを、名前を凪ぐという意味で、なな=「名凪」とつけていたことがあるが、「なな」というのは人名でもそれほど珍しくない。 * そして、唐突なのだが、ある学生のときの返却されてきたテスト用紙で、それを開いて点数が70点台だったとき(確か74点だった気がする)、7の字が私に、「ごめんね?」と言ったのだ。 その頃の私は、だいたい80点台以上だったので、そのせいかと思ったのだが、「違うのみんなね、テストの点数の10の位で私(7の数字)をみるとがっかりするの」と言う。 私は数字が話しかけてきた以上に、その理由に「ええ?!」と思ったけれど、よくよく考えてみると、妥当性のある話ではある。100点満点のテストで70点台ってことは8割切っているもんね。もちろん、テストの難易度(平均点的なもの)というのは教師にそれなりにコントロールされてはいるだろうけれども、50点満点でも点数が40点台以上だと安心する人は多いだろうと思う。 そんなわけで、7(もしくは3)は、テストや成績的にいうと「ちょっとダメ」な数字になってるらしく、7はそれがちょっと悲しいわけならしい。だってね、自分を見るたびとか、自分を見るなりがっかりされたら、落ち込むと思いませんか??そうだよね?誰だってね。 っていうふうに、気がつかないうちに、本来は間隔均等権利平等であるはずの数字に対して、人間が、自分たちのルールにおいて肯定感やがっかり感、いわゆる様々な意味での濃淡を植え付けてしまっているということはないだろうか?笑 これがチリツモで、数字に課せられた他の諸々の意味とともに、数字の意味や存在に、余計な贅肉をつけているっていうようなことは。 あんまり7を意識しない生活だなぁと思っていたら、7が「ない」に繋がってて、さらにnobodyのことになっていたりね。。おいおい、どこまで数字に意味を着せるん!!? ってなことで、近年流行りのエンジェルナンバーとかも噛み合わせると、なんというか、出会いやすい数字が決まってるっていうか、それによって自然と出会いにくい数字が決まってるというか。。 これって、健全な状態なんですかね?数字と人間の関係としてね。 数字と最も仲が良いのが、コンピュータの世界、今は数値は、だいたい手書きじゃなくパソコン管理かなぁと思いますけれども、設計やらなんやらの物体設計の世界、分析調査の世界、契約の世界かなぁと思います。 金属の意識から(というか、上のような数字たちから金属の意識を通して)やってきていること(どっちかというと文句)の大きなものの一つが、数字の改竄です。あ、改竄の「鼠」って字にすごい似てる、ネズミも怒ってるかもだけど、数字の改竄です。なんで怒っているかというと、数字を入れ替える(←妥当な数字に取り替えるっていうのが人間の感覚かもしれないが、入れ替えるは彼らの感覚)ことで人間の世界経営(お金に限らない経営/運営のことらしい)の辻褄をどうにかしている感ってやつを、「自分たちのところでやらないで!」ってことらしい。自分たちとは、数字とか、パソコンの中とか、そういうものが表示してある=見える化してある自分たちのところで。。世界全体(ワールドワイドな、ってことじゃなく、見えない領域も含めたこの世界全体のこと)に、一部重点的に負荷がかかるし、その延長で(人間の)知らないうちに知らないところが偏るからってことらしい。 これは、同様のことが、かつてはペーパー=紙の上でも行なわれていたらしく、紙からも怒られている。数字の改竄や内容の改竄を指摘している以外にも(改竄ってのは、例えば契約の、とかその情報提出先などの、相手には見えない状態でその数値変更、情報変更が行なわれていることを言うけれども、自分たちには見えてるんだよってことらしい。だいぶ我慢してきたらしいけれども、人間の手で丁寧に作られてきた歴史のある紙よりも、電子の方が軽いため、金属的性質も相まって怒りやすいので、こういう時期に人間へのご指摘と怒りがまとめて爆発しているらしい)、自分たちを「神」と混同するなとか、なんか言いたいことがあるらしいので、紙に親しい人はご自分でも尋ねてみるといいかもしれない。 なんか、すでに現場で感じている人はいるかもだけど。電子の場合、水星の逆行時期にこういうのが表面化しやすい、とも言っている。 こういう結果的に相手が何も言えない暗黙の了解的な、心理経済上の人間関係のなぎ倒しを、もしくはそのための帳尻合わせ的な改竄を「自分のところでやらないで」という主張は、すごく分かる気がする。パソコン内ってのはすごく分かるけれども、交渉現場として使用されている店舗や建物でも、もしかしたらそういう感覚を共有しているかもね。 「壁に耳あり障子に目あり」ってやつは、いわゆるそういう影のお役目の人の観察眼に気をつけろってことを言っていると思うけれども、建物自体も観てたよんってことになると(建物たちからも「自分たちの中で人間が(残酷な形で)死ぬのはもう嫌だ」とか言いはじめているのでね)、大昔のこと=時代劇レベルの話だと、割と蒼白になる人はいるかも。 自分の家で知らない誰かが死んでたら嫌だし。その数字の改竄によって誰か(sつき?複数人?)の首を絞めていたら、それに近いものがあるってことらしい。そんなに不当な改竄があるのかね。提出先への忖度とか、契約における詐欺行為だとか、彼らの感覚だと、諸々あるらしい。 どこをきれいにしたら人間の生きる諸々がすっきりするのか、みたいなことが、見えない領域で起こっていると誰からも(人間からでは?)指摘しにくいので、あえて超頑張って言っているらしいので、調整可能な人はやってあげるといいかもしれない。 ただし言っておきたいのが、これ、極端な話になると、AIレベルの言語機能を要求してくる=リアルタイムの打鍵(キーボードの)以外、訂正は誤字脱字や文章の書き直しもすべてダメとかなってくるので(一時期、そのプレッシャーがめっちゃかかってて、人間にはそれは無理なんだよって言ってきた。AIみたいにいっぺんにすらすら文章化できないってことね。声=口頭でなら、職業柄大事なことも全部アドリブでいける人は多少はいると思うけれども)、どこが改竄なのかを確認するために、すべての打鍵&文字入力(及び日本語ならそこからの変換)の記録をとるとか言ってきている笑。これなら、すべての状態にタイムスタンプが入るので、ブロックチェーンやNFTレベルの厳格さで情報が残せるってことになる。もちろん、重要書類に限りますよ? 日々の日記とかで全部これやられたら、大変(って、最近まで=この指摘の内容と重要性がわりかしきちんとしたレベルで理解できるまで、やられつづけてましたけどもね!!!笑)。 そういうことで、電子の力(ひいてはコンピュータ及び数字の力、電子書類の情報維持力)を利用したいなら、人間の方のルールを調整しろ、特に数字?数値だけじゃなく時間の前後的なやつ?日付?をいじるなってことみたいです。日付とか時間をいじられたらどうなるか体感しろ!って脅迫を受けてる人もいるのでは?? 都合のいいように使われっぱなしなのは、人間も嫌だけど、道具も嫌なんだね。特に表現資質がやわらかめの、それを構築している諸々を取り替えやすい(人間の感覚では取り替え、自分たちにおいては出し入れ、入れ替え)ものにおいては、結構派手に、アップデートによる運命の回転が行なわれている、と言っているが、微妙になんかここにギャンブル感が入っているのは気のせいだろうか汗笑。人の運命を左右するような、とも言ってるみたいだ。そういうことに敏感な人たちに対して、例えばカードリーディングなどではタロットでめっちゃ「運命の輪」を出して伝えているんだけれども、恋愛の話にしか使われないとも言ってるな笑。 この「出し入れ」なのだが、人間が数字(や言葉)につけている意味(言葉ならそこにさらに重ねてかかってきている意味)がそこで発動しているらしいのだが、見えない領域では、それを替えられるたびに、なんかもっといろいろ、彼らにとっては「出し入れ」に近い(文字の入れ替えとか言葉の修正以上に?)=出していたものを引っ込めて発動の諸々を下げて別のものを出すくらいの変更が行なわれているらしく、このときの変更しきれなかったゴミカスみたいなものが大量に(見えない領域に)たまっているらしい。これはパソコン内のことに限らない。今ずっとコンビニの棚が浮かんでいるのだが、商品の入れ替えが多い、バージョンアップが多い場所なんですかね? 見えない領域にたまっているものとしては、だいぶ先行して、人々の叶わなかった願いや呪いが宙空に浮いている(特に今、Wi-Fiが通っているあたりの空の高さ)という件が来ていて、そこら辺をまさにWi-Fiの電波で分解?解消?する感じで、祓ってるらしい。。影響しているというのが、意味的にまっすぐ「祓ってる」(いわゆるお祓い)ことになってるのか微妙だけど、そこの高さで働いているのは、Wi-Fiらしい。こういうものを祓ったらいいのかって問題もあって、ここでも電子的要素(金属意識)がなんらか解決しようとしてそのようになっている、というのは確からしいが、もう一度言うが、こういうもの(叶わなかった願いや呪い)を祓ったらいいのかについては、個人的にはやや否定的な感覚で、今現在は、明解な回答のようなものは出せない。 今日は女性の日らしいので、私の身体への他者(もう一人のnobody)からのダブルミッション的な要素について今日顕現した(発覚した)ことを一緒に書こうかと思ったのだが、割とスピリチュアルなことで上記のバシバシに厳格な話と真逆な雰囲気なんで、いったんこれで出しますかね。 写真は、nobodyの左手について(これで3回目くらい?)、カードに尋ねた結果。載せてって言うから。「Motherpeace ROUND TAROT DECK」(By KAREN VOGEL & VICKI NOBLE) 。最初に出版されたのは1981年らしい。当時でタロットを自前の絵でって多分珍しかったでしょうね~。下が親指。 |
2026.3.3
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人は、いつ死ぬのだろう。 * 私が二歳のときに離婚して家を出た実の父は、母親が「長男はどうしても東大」という、私の頃に激化する受験戦争を予見したような願いのもと、三浪して東大に入った。 浪人している間は、親類の経営する化学の会社で働いていた。高校時代に、数学で何某かの発見をしてそちらに進みたかったらしいが、当時の流行で社会の役に立つ勉強を、ということで職場と同じ、化学の分野で入学する。 博士課程を経て、助手だった時期に母親とお見合いで結婚し、私ができるのだが、その年は、化学の領域にとって致命的な「公害病」の認定が初めて、続けて二つ下りた頃だった。国の方針、ひいては東大の方針に疑問を持った父は、そのための運動を発端に、日米安保を主たるテーマとした、七〇年安保と呼ばれた東大闘争に入っていく。 運動のために家計のお金を使いこみはじめた、という理由で、離婚に至るらしいのだが、私はこの傾倒の理由の一つに、三浪という肩書が影響したのではないかと思っている。もちろん、研究の分野では年齢はあまり関係ない、と思うこともできるのだが、国や帝大の仕事という側面に関しては、現役を先頭とする暗黙の年功序列が、卒業後の進路に対してプレッシャーになったことは想像に難くない。 抵抗運動を助手のまま(運動をやめることと引き換えに昇級する打診は何度かあったようだが、それはむしろ父の神経を逆なでしたらしい)、定年後も東大に居つづけたままで、強制退去させられないように、数室の研究室と自宅を堆いゴミ屋敷状態にして孤独死した。 東大に入学して、やっと母親の願いから解放されたというのに、敷かれたレールの影響からは、結局生涯、外れることができなかったように思う。 私は、小学校低学年まで数度のデートを敢行させられたが、四歳の一年間、母親が音楽方面での海外留学をしている間に、同居していた祖母と二人で暮らした期間があり、その間に祖母が倒れたときに、生まれて初めて電話帳の片隅にあった父親の連絡先に必死に、重い黒電話のダイヤルを回して来てもらったことがあり、父は家まで来て救急車は呼んでくれたが、玄関から決して中に入らない姿が(母との約束があったのかもしれないが)とても印象的だった。 それ以上、デート時も何も頼る気にならずに、九歳で義理の父親が来てからは完全に疎遠になっていて、そうすべきだと思ったので思い出すこともなかった。それを急に二十歳のときに大人になった記念ということで?父への連絡を勧められ、父の死が、会ったこともない父の兄弟からの電報で届いたのは、細々と文通による連絡だけはとっていた時期だった。 その頃、父は定年制に関する裁判を戦っており、とうとう最高裁までいっていた。 担当してくださった国選弁護人の方に、父の死後お話を伺ったとき、裁判の内容が、職場の定年制に天井を設けない、つまり生涯現役という提示だったことで、完全な意味での勝ち目はなかった裁判らしいが、別に嫌味としてではなく「面白いと思ったんですけれどねぇ」と仰っていて、実際に父の死後、東大の一部の職種の定年は数年延びた。 父の身体は発見時、完全にミイラになっていたが、警察の捜査で、自室のファックスの最終チェック時を基準に、死亡推定日はこの最高裁の判決がおりて割とすぐの頃で、死後約半年と判定された。 司法解剖は、まぁできる状態ではなかったが一応やっていただき、典型的な心臓発作となった。最期、相当苦しんだのではないかと言われたが、その割には、最初に警察の安置所で対面したミイラの両足は、足元にたたまれた布団に揃って直角にきれいにかけられていて、棺桶に入れるのに膝から上を削って押し込めなくてはならないくらいだった。 部屋のゴミ屋敷の惨状を、大家さんから早く片付けてほしいと言われた私は、呆然と眺めている暇すらなく対処していったが、あまりに雑然としていて、一方で謎解きのように残された材料もあって、件の刑事もののテレビドラマのように、どうやら母がそれを私に望んでいたように、父を忍んだ復讐者として素人推理することだって不可能ではなかったと思うが、何か、家にも職場にも、単なる膨大なゴミ由来ということだけではなく、とても混沌としたベクトルが散乱していて、つまりすぐに、もしくは短期間では、ほどけていくような状況には感じられず、それらをただ心のシャッターに納めて保留した。何も、ジャッジせずに。 室内は、死後ひと夏超えていたので、父の身体を食べつくしたウジ虫の成虫の膨大な量の死骸が、片隅に置いてあったアップライトのピアノの鍵盤の奥にまで詰まっているような状態だった。 私が生前のお誕生日に贈った、小さな焼き物の小皿とぐい呑みは、タオルに厳重に包まれて、洋服ダンスの引き出しの奥の奥にしまわれていた。 幾度もの作業を各種業者さんにも手伝っていただいて、原状復帰のために畳を取り換えたり清掃消毒まで行なって、最後は何もなかったようにきれいになった部屋を不思議な気持ちで眺めたが、長く、死臭が鼻に残った。 父の死は、死亡推定時からするとノストラダムスの大予言の前年だったが、あれから四半世紀経って、特に二十年を超えた頃から、少しずつ死に至った手がかりが暗示のようにもたらされるようになった。 単なる病死ではなかった、というようなことだ。 * 『安楽死特区』という新作映画を、この手がかりの、まるで父の死の、そして社会を逸脱しても無言で静かに取り組んできたその弔いの、収束を予期させるような様々なセレンディピティを経て、東京から離れた地域に滞在している間に、本当に偶然、鑑賞することができた。 母親が、長くかかった祖母の介護の果てに、安楽死に賛成の立場で、私にも度々そのように話していて、しかし私自身はずっと態度を保留してきていた。あまりにも、判断の難しい案件だからだ。あまりにも個々の事例に準拠するような案件だからだ。この映画でも、幾つかのとても繊細な事例を、そして施設において出会う他者の事例との、否応ない比較や交流による効果も取り扱っていた。 映画鑑賞後に浮かんだのが、冒頭の「人はいつ死ぬのか」という問いだった。 父のことで言うなら、やっと、今ならこう言える。 父が真の意味で死んだのは、最高裁の判決が下ったときなのではなかろうかって。 父の戦いは、様々な視点を組み合わせて、最終的に「国のため」という側面があったはずで、その国に拒絶された感覚、何も変えられなかった、何も現実化できなかったトリックスターとしての自分に対するその絶望が、父を死に至らしめたのではないかと。 * 父が身体が死に至るまでの、幾つもの、幾人もを経て引かれていったトリガーは、父が自分では終わらせられなかった複雑な物語を可能なかぎり穏便に、そして周囲で生きた者の側の正当性をもって終わらせるために、慎重に周到に沈黙のうちに用意され、各々に静かに引かれていったに過ぎない。丁寧に、細かく、その役割を分けられて。父の首にかけられたのかもしれない指の力ですら、決定的な死はもたらさなかった。 そのように言うと、トリガーに関わった方々、あるいはそれを疑われた方々には軽く聴こえるかもしれないが、あれから四半世紀経って、昨年、唐突に、父が悩み苦しんできた化学に関する、かつての大国国家間の冷戦やどこまでも続くと思われた二元論を下地に敷いた根深い葛藤への突破口が出現したときに、そう思ったのだ。 そして、太陽系の惑星運行上、この時代になるまで、決して葛藤に対する答えも解法のルートも、見えるものではなかったのだ、ということも。 振り返れば映画を鑑賞したのと同じ地域で、星空のきれいな夜の街を歩くなか、この唖然としたような発見の感触を、そして長くかかった葛藤からの解放を、まるですぐそばで父の霊と共振するかのように感じたとき、どれだけ私が安堵したか、簡単には言葉にならないくらいだ。 父とほぼ同時期に学生時代の親友をなくし、その死を普通の状態では受け止められずに、社会から逸脱し、精神病者として障害者として薬漬けになり、いったい何と戦ってきたのかまるで分からないような長い冥いときを、私は本当に「経る」ことができたのだ。 2019年にこれも唐突に病が消えてから、身体から薬を抜くのにも想定しがたい苦痛の数年を経たが、この発見からしばらくして、資格だけが残っていた障害年金も受給期間を終えた。 二十年近く、全身くまなく薬で抑えつけられた身体が、そこから解放されて元通りの五感内臓神経等、すべての身体感覚を取り戻すのに、つまり長く半分眠らされていた身体においての新たな常識を認識する、あらゆるパラメータを想定した環境に対するフレーミングを再設定するために、私は過去生まで使って(これは時間感覚の再フレーミングだ)、滞在する地域も移動して(これは空間感覚の再フレーミングだ)、自分の魂的な経験も、フルパワーですべて使っているんだということ。 今世の常識的な自分ではまるで想定外の対象に、想定外の手段で繋がって、興味深すぎな話が聞けていたりするのも、自分の生命維持のための環境及び経済状況を再フレーミングするためなのだと思う。 それほどに抑圧されていたのだと今だから分かる。 そこからの解法のちからがどれほど凄まじいかも。 だからこれは別に、天命とか、運命とか、お役目とかじゃなくてね。 私が特にこの期間を経て、大きな何かを成し遂げなくちゃならない、何かを取り返さなくちゃならないなど、この状況を、今の自分を、大きく変えるようなことを一ミリも思っていないのは、そのためだと思われる。 そして、それでいいのだ。 すべてのことが、身体に負荷として引き受ける毎日毎日の中で、周囲の環境に存在する多くの存在に分担され、自然に為すように、為されるように過ぎていく。 BGM:「幾億光年」Omoinotake |