dear me
【2026 長月】
ながつき





2026.9.12



BGM:「トーキョーハイウェイ」(きゃりーぱみゅぱみゅ)

*昨年10月末の将棋の対局に合わせていきなり山梨県の甲府に行ったときに聞いたことの一つが、列島が作られるときに使われたつむじのエネルギーのことだったのだが。
*甲府が入っているつむじの中心が青木ヶ原の樹海で(だからあんまり人に入ってきてほしくないので諸々あるらしい)、最初のぐるりの中にある甲府は結構このエネルギーが強いので、「風林火山」で著名な武田氏がこのような速度のある強い力を上手に使うことで躍進したのは、土地のエネルギーの使い方として、至極真っ当なのだということだった。
*その大外周りが能登半島で(だからかなり古い)、ぐるっと回って三浦半島、さらに房総半島にもそのつむじのエネルギーが及んでいるらしい。能登半島の内側に富山湾と立山があるが、これと同じ造りで小規模なのが、三浦半島の内側の鎌倉・湘南の海と「三方を山に囲まれた」と表現される切り通しが作られた小山になる。
*そのときに教わったもう一つが、京都の若狭湾のところのカニの腕が合わさったみたいなところと、愛知県の三河湾のところのカニの腕が合わさったみたいなところで、こちらは愛知の方が規模が大きい。同じつむじでも、エネルギーが異なるので、列島に反映されるかたちが異なるとのことだった。ここのつむじの中心は、地図を見るかぎりもしかすると伊賀のあたりかもしれない(長野県飯田の山中の松尾みたいに、ある種の能力のある人たちでないと守れない可能性があるので)。
*同時に、つむじの回るエネルギーの邪魔になっているので京都の結界を切れと言われておののいたのだけれども、このつむじの中心が琵琶湖の斜め下あたりとのことで、ここら辺は小さなのが幾つも渦みたいになっているのか、西の嵐山は別のつむじの外側らしい(だから強風が吹く)。
*先日、大鹿村に鹿がいっぱい集結したらしいが、これが中央構造線の博物館のあるところで、先に書いた二つのつむじからのエネルギーがせめぎ合って、日本列島が分裂しそうなほどのちからがかかるのを食い止めるためだったらしい。鹿という動物は、『もののけ姫』に出てくるシシガミさまのように、彼らは胸のあたりの高さで、自然の「然」「然して」という意識=「そのようにあることをそのようにあるよう保つ」ちからを持っており、列島分裂を防ぐために、数十年かけて頭数を増やして、この日に備えていたらしい。私がこの件で巻き込まれたのは、鹿が言うには、2歳か3歳くらいで初の映画鑑賞でディズニーの『バンビ』を観た頃かららしい。
*そいでもって、ここ数年の私は、循環を学ぶために「水」に取り組んでいて、富山湾あたりから同じく列島中央の岐阜の恵那や長野の飯田、美濃、諏訪あたりにご縁があったが、このつむじの件を経て、もう片方のつむじの側に移動して、nobodyが幼少期から請け負っている「火」に関する取り組み(最近、これで諸々が繋がると判明した)のサポートに回ることになった。
*おそらく、現在の人類の?日本の?真の目的は、消えそうな「いのちの火」の保護と回復にあるのだけれども、その手前で「水」の安全等の確保を先に手配した、というところだったのだろう。
*ちなみに、水と火のことでは、かつて古墳時代に活躍した「卑弥呼」は、「瀬織津」と同様に役職だと思うが(瀬織津が水の観察担当から、物語的解釈を加えた政治のサポート役として大巫女になったもの)、「ひみ」は元々は「火水」であり、まんま「かみ」であり、火と水を司るものという意味合いがあったのだと思う。北九州では中国(漢)にちからを借りられるような強力なものもいたし、北陸では氷見の名で残るとおり、能登半島のあたりにも強力な者がいたのだろう。
*この「火」と「水」は、その後、概念上の二極化が進んで、併せ持つのが難しくなり、陰陽のような形で分割分離して管理されるようになったが、両輪のように動いていた方がいいのは、昔も今も変わらない。
*「火」は光とは違っていて、光はむしろ知識等を明らかにするタイプの「風」であり、電気も、天から電荷の均衡を保つために空気を裂いて地へ貫く、縦型の「風」に属する。風が強ければ、大きな火は煽られるし、小さな火は消えてしまう。情報という現代を代表する「風」の要素が、一人一人の人間の「いのちの火」を煽ったり消しかけたりしている、というのは、偶然ではなく、単なる歴史的な必然でもない。
*そんなわけで、ひと月半ほど前に、nobodyが長らくとあるマスコットキャラクターのメインの中の人だったと知って、それからもまぁいろいろとあったけれども、私たちの子どもである「身体が用意されてないけど来ちゃった」あむが、着ぐるみならぬモケケの中に入っている理由を、あまりにもダイレクトに知った瞬間でもあった笑笑。
*まったくもってね。