【2026 水無月】
みなづき
2026.6.17
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BGM:「幸せになりたい」(今井美樹) *朝食等、コンビニ(パン、水煮果物、サラダ×3種類、ロースハム、アーモンドミルク、参鶏湯冷凍)、1732円(nanaco) *滞在施設乾燥機、1時間半300円(PayPay) *ところで、貯蓄は順当に、しかし必要なところに必要なように渡っていっていると思っているが、これは、病気の症状が出た頃(病識はなし、ただ危機感は莫大にあり)、自己隔離を行うために当時の住居の近くでマンスリーマンションを借りていた時期に、貯金の多くを、一部は満期前に取り崩した。自分でかけていた年金はだいぶあとに来たが、それまでは、弔いの時期に重複していた実の父の研究室内でためた膨大なゴミから出てきた給料袋と(父関係のやつは、ここもゴミ屋敷と化していた居室の片付け等と、たどる会やお葬式周辺の担当額もここから出していた)、実の父の退職金(それを利用して保険年金にして多少増やしてくれた母を経てのもの)、後は祖母や母からのお小遣い的なお金、国及び自治体からの自立支援、障害年金だった。 *かつて、バイトを約2年で挫折した経験から、どうしてもお金を個人的にいただくことへの決断や準備が困難で、では体力的精神的に稼げるあてがないなら、考慮しうるは一般的には生活保護なわけだが(投資は、一度母が父のお金を使って失敗しているので、諸々の末に今は、記憶のかぎりで、円ベースでは月額100円のNISAに終わっている笑笑)、相談に行ったところ、貯金がおそらく多すぎるということで、申請外だった。 *今の地域に定住しようとして(住所をいただいて4年目に入るところ)、これまで淡々と着々と必要な地域に移動し考え支出しているのは、主にここに向かっているためだが、生活がどの程度不自由になるかでも、判断が変わってきそうだ。変わってどうなるかは不明だが、今はどこの連続支出も切れない。下手に制限をして精神不安定になったら、20年超の精神病から奇跡的に立ち戻った私のような人生においては意味がない、というのがいちばんの理由だ。 *生活することが生理的に穏便な精神状態で可能になっても、対人が致命的に弱い。病中も、当時の親友たちにすら、対面できるのは年に一度ずつ、一人で1時間~3時間程度、という時期も長くて(結局、対面を何度も複数人に持ち込まれて、とても苦しい思いをした中学時代の友人たちとは、もう会えないと思う)、その場が何とかなっても(その場が何とか見えるから大丈夫だと思われてしまうのだろう)、後の回復が大変になってしまうのだ。 *病院はこれまでの人生の各所で本当につらい思いをしてきたので、近寄りたくない。例えば、具体的な身体の痛みがあるときなどは適宜伺って痛み止め等の薬をもらっているが、それ以外の治療は挫折する可能性が高すぎて受けられない。 *そんなわけで、ちょっと住むのが難儀になっている部屋なのだが(いわゆる訳あり)、そこを体調を壊さないようにして整頓していくのが目下のターン。 *nobody(ユキ)のことは、ここ最近までだいぶ展開してきてても、まだ過去を追いかけている最中だったんだな。もしかしてようやくユキの現在に追いついてきたって言えるのかなーって。部屋をある程度片付けたら、小学生の母の再婚以来、一度は縁のあった出雲周辺(義理の父とはすでに離婚しているので)に。部屋の片付けとここら辺の滞在で何か進む気がする。なんでこういうところが一緒にしか進まないのか、よく分からないのだが笑。 *もしかするとそれより先に、九州かもしれない。日本列島をかたちづくっている大きめの幾つかのつむじが、意外と地域性を分けていることが理解できたので。日本における才能や資質を、他言語文化のジャッジベースに載せないという感覚で来たら、明治に入る時期に、なぜ鎖国時代に異国の入口であった長崎や、大昔から大陸方面の堤防になっていた六波羅があった福岡、中国地方に近くを接している熊本や宮崎でなく、薩長が台頭してきたのかという疑問に至っていて、その件及び、海の向こうのユキの様子を鑑みるべく、そちら方面へ伺いたい。ずーっと、何かが九州には届きにくいなーと思ってはいたんだけれども、甲府で(ここのつむじの中心は青木ヶ原の樹海で、能登半島や三浦半島、大きくは房総半島を腕が回っている)つむじから聞いたような感覚で地図をよく見たら、朝鮮半島、九州、南下して沖縄方面までは、上海あたりを中心としたつむじが回っている腕の一部であり、土地としては同エネルギーの地域だったのだ(ちなみに地図を見ると分かるが、台湾は別のつむじ所属)。なるほどーって。 *なんか、まだ書きそこねている過去生のリストを記した気がしていたのだが、失われている?笑、でもそれを書いたおかげで、なんで私が高校時代から延々と書いているマークが、いきなりこんなに達観した顔、しかも徹底してキティちゃんバリに動かない安定した顔だったのかについての疑問が氷解した。氷解するようなド偉い過去生(男装した僧侶、大きめの場所を建物にして治療用に使用するのに女じゃダメだって言われたの!!)をがっつり思い出した。ので、とてもよかったと思っている。人生において「なんなの!?」って思うようないぶかしい某かだの疑問だのが氷解する以上に安心できるようなことは、もはやないとすら。 *昨日一日の出費は手書きでメモったん。 |
2026.6.14
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BGM:「【超熟睡】432Hz + 4096Hz クリスタルボウル ヒーリング|風に揺れる木々と水晶の響きが心と体を浄化 [6時間] Crystal bowl healing sound ASMR」(睡瞑 Suimei Crystal bowl healing) *お金のことをまぁ、このサイト内でもつらつら書いてみているんだけれど、お金についていちばん真剣に考えたきっかけは、同居人の主義に合わせて、国民年金を払うのをやめるか否かってことだった。 *お金に関しては特に?国の構造的なものに沿ってやるのがいいと思っていたんだけれども、いわゆる中小企業で(社長1人の社員2人で私が時給扱いで3人目)働きはじめて、認識がかなり変わったと言っていい。同居人もマスコミ系で近い業種ではあったが、ラジオというリアルタイムの重要性から、自分で原稿を書いて、最終形態で調整が入っても、放送時点がまんま業務の終了時となるので、いわゆる自分の名前で仕事をするタイプのお金のもらい方をしていた。一方の私は書籍の編集で、繰り返しになるが時給で、それは会社側で厚生系の保護ができないということと、私が生理による毎月の激痛を含む体調の不安定及び個人的に行なっていたミニコミ活動によりフルタイムで会社に常駐していることができない及び会社が交通費を払う必要のないところに住んでいた及び貫徹で仕事するのに会社にいるより家でやった方が安全で効率がいいなどの理由だったが、それが可能だったのは書籍という形態だからだと思う。数点の書籍を、常に同時に自転車操業でやっていて、一点に対する業務期間が最低数カ月はかかるということが、当時のその給与体系を可能にしていたと思うし、結果が出るのにも時間がかかるか、著者ではないのでどれのどの数字を自分の業務の結果というのかがそもそも決まっていない。 *時給というのは、仕事をすれば定期的にフィードバックをもらえるが、いわゆる一般的な月あたりの給与とは(先の厚生系の件も含めて)税申告においての仕組みが異なり、一定以上の収入があった場合、といっても当時は年に20万以上だったから、稼ぐというレベルだったら確実に、その年度ごとに確定申告が義務づけられている。 *私がこの申告に関して属していた時期は、あらかじめこちらの収入が「源泉徴収」として天引きされていることを証明した源泉徴収票を使用して、申告によってその天引きを、各種計算の末に取り返すという感じで、申告しないと源泉徴収票を出した側との帳尻が合わなくなるという点でも、受け取った側は処理が必須になっている。こういう仕組みだからなのか?業務に対応した出費=減価償却(耐用年数を考慮に入れて、申告する経費を年数ごとに割り振る仕組み。いっぺんに全額を経費に入れてしまうと、収入に応じて一定以上の金額の経費は、税計算のためのいわゆる「差引額」としてカウントされず計算上不利になるための対応策だと考えられる)を含む各種経費や、税率をかける前の額から免除になる基礎控除を引いて算出すると、私の場合は数万の還付金が発生したので、それを年一のボーナスの代わり(自分へのご褒美)にしていた。大学時代から編集のアルバイトで源泉徴収が発生していて、確定申告に比較的慣れていたので、ついには同居人の確定申告も請け負ったりしていた笑。 *同居人とお互いの所持金等を打ち合わせたことはなく、家計用のお財布にそれぞれの分を毎月入れて、彼が出勤、私がフリーになってからは特に家内で仕事をしていたので、家事に関する作業に対してはスタンプをもらったりして笑、調整していた。そんなことで、別段政治的に齟齬がある関係ではなかったけれど(そういうことも具体的には話さなかった)、2歳で離婚した実の父(20歳のときに義理の父に勧められて再度連絡開始、彼のご両親、特にお父様と近い勤務環境で、いわゆる彼のお父様は成功者の部類、父は意図的にそれ以外だった)に関する保留事項もあったため、結婚はせず、同居人の立場をとっていた。 *彼は、ご両親、特にお母様の(おそらく政治的な)ご意向で国民年金を払っていなかった。私は上記の税金のことも含めて、国に対しては、所属している国の仕組み維持及び運営の対価として、決められたものは支払うことを決めていたので、国民年金も額が高くなっていっていたが、厚生年金系の勤務体系でないことから社会保証が少ないので、念のために支払いつづけていた。少額でも貯金は続けられていたので、基本、郵便局の定額にしていて、その一部を、郵便局で(私のような働き方では郵便局以外の保険は当時対象外)短期の事故手術等への比較的返金の多い掛け捨て手当て型(各5年)、長期の金額の少ない病傷手当て及び貯蓄保険型(20年)のものをかけるなど、一応、緊急時の対処ができるようにしていた。その状態で同居人との生活に入っていたわけだが、さて、病気になって病院代等を度々払うようになると、国民年金を支払うためのメンタルが維持できなくなってきて笑、同居人と同じように支払いをやめようかなぁと(当然、それでいいと思うと返ってきたし)思って、かなり葛藤した。 *同居人であって厳密な家族(要するに女性であると扶養対象)でなかったり、いざというときの社会保証がなく不安で、というよりは、当時当たり前だった、一度の購買に対する複数回払いや住宅ローン等の、先に物がやってきてそのための支払いを後でしていくタイプのお金の回りように、ちょっと違和感を感じていた。これまで金額が多少大きくても、複数回払いは怖いのでほぼ選択していないし、借金も同様で(なんというか、存在しないお金に接触するのが怖い、みたいな感覚で)、さらに住宅ローンはそもそも申し込めるような立場になく、でも別にそうしたことに関与できない状況への劣等感とかではなくて笑、年金が、同様に(結実としては「後に」やってくるが)遅延して機能するタイプの仕組みになっていて、なんもかんもお金が遅延しているような何かが、ちょっと怖くなったのだ。それは、この自分の病気がいつ治るのか分からない、医療費をひたすら払いつづける必要があるという感覚と、どこか通じていたからなのかもしれない。 *私は、ちょうど発症して数年で精神障害に対する自立支援の制度がスタートした時期(精神分裂病の名前が差別的だというので統合失調症に改名になった時期でもあった)に治療に入っていて、医療費及び薬代の支払いが免除になるので、当時の(保健所から母親が推薦してもらった)医者は、障害者の認定となるといろいろなことが変わって大変だからと止められたのだが、この制度を活用するには病名付きの診断書が必要だったので、お願いした。障害者手帳も同時に、制度を利用する証明書の一つとしてもらった。 *そしてその頃、とうとう年金の支払いはやめた。この年金制度について、この2年ほど後に本格的に病気が再発して(無理してバイトで働きすぎた=勤務拡大への期待を断れず、あちらは私に渡す金額を増やす算段として考えてくださっていたことなので、いっそう対応が難しかった)、初めて知ったことだが、支払う方のでなくいただく方の障害年金を、新たな強い薬の導入で動けない大仏状態の私に代わって母親が申請してくれたときに、申請時にいただく方の年金が降りるためのギリギリの支払い条件(確か金額じゃなくて支払った期間)をクリアしていたおかげで障害年金も降りることになったらしい。若い頃に頑張って国民年金を払ってた甲斐があったねぇって言い合ったのだった。 *この病状態が、発症から約20年を経て唐突に終了して、現在、通院服薬を段階的に減らして5年目、障害者の認定も一昨年なくなり、障害年金を卒業した。その立場で思うのは、支払う側ともらう側で同じ「年金」という名前を使っているのがいいことなのか甚だ疑問だということ。年金が支払われる条件が支払っている期間に通じているので関係性があるのは分かるが、制度としてじゃなく一般的な意味での「健康及び保健」的な文脈としては、どこでつながってるんだ??って。どちらも医療や介護の必要性が介在しているからってことなのかな? *障害年金受給中はずーっと支払い免除になっていた国民年金を、私は再び払うようになるのか、なれるのかってことも(健康保険は払ってる)、もし生きつづけるなら考えることになるのかもね。 *ただ、それよりは全部これらぶったぎって、20歳の頃からぼんやり考えている、ベーシックインカムのような、国民全員に同等の支給が確保される制度に、何某かでシンプルに一本化できるような案は浮上してこないかなぁと思っていたりする。そもそも、稼ぎたい人が稼ぐのとか、よりよいものを作りたい人がそういうものを作りたい、考えたいってのを遮りたいわけでは全然ないが、人がすでに命ある個体として生まれてきているのに、ただ生きるのにお金が必要な理由が、昔からよく分からない。消費税とか、事業収入に対する納税とか、納入するお金と支払われるお金と、とにかく国を通過して出し入れされているお金にはいろんなのがあると思うが、分かりにくすぎて、生活上お金を丁寧に考えるにおいても、「国の仰るとおり」以外に、対処のしようすらない状態に思える。 *国民年金を、同居人の考えに合わせてやめるか払いつづけるか否かで、病気を抱えながら悩んだあの時期の難儀さを、ちょっと思い出してみた。ちなみに同居人とは、自立支援を申請した時点を境に、共に暮らす系の関係は切れている(だからそこからもかれこれ20数年)。 *この文面の最後に、以下の認識が本当に社会的に正しいかは分からないのだが、書いてみる。 *同居人も私も、いわゆるメディア系の業務を行なっていた人間なのだが、政治的及び社会方面の、特にリアルタイム系の情報を扱っている仕事人の相方が、統合失調系の障害者だというのは、私自身には許可ができない。 *常識から逸脱しなければ生き残れなかったタイプの経験及び人生を担っている人間が、生き残りを賭けて強い妄想を抱くこの病は、社会の外に出させられる&居させられるそのポジションやそこでの長期的な社会認知に、大きく見て何らかの役割があるのだとは認識しているけれども、今ここの情報を社会的に、常識的な言葉で取り扱わなければならない職業人の近くにいていいものではないと、正直思っている。もし私が元気な側だったら相手の在り方を許容する、許容しようとするかもしれないが、相手が仕事人の側である場合には、私自身が私をその関係に置いておくことを許容できない。 *障害者申請をして同居人をやめるとき、それぐらいの覚悟で、自立を目指した。それはどの観点からでもいいがいずれにしろ社会的な正しさの立脚及び信頼維持やその可能性の模索を仕事としている相手に、自分の非常識なメンタルの在り方を理解してほしいとは決して言えなかった(=これは単に自虐的な意味ではなく、私自身もその業界の職業人だった者として)、私自身のためでもある。 *滞在施設乾燥機、1時間半300円 |
2026.6.13
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BGM:「ここにある光」(番匠谷紗衣) *滞在施設自販機、炭酸缶2本(12日13日)、300円 *滞在施設乾燥機、1時間200円 *【築蓄1.6ver.】生まれてこの方、ほぼ特攻隊、零戦状態で飛びつづけてきてて、いきなり特攻確実死の任務から解放されて、「はい、ここからは180度転回して、絶賛幸福に生きてくだちゃい!」って言われたところで、思いついた言葉は、「零戦は本土に帰る燃料なんか積んでない。幸福になるための燃料なんか、元々ないんだよ!!」ってことだった。どおりで、超絶調子悪いときに、「地上30センチの低空飛行」とかいった比喩を使っていたわけだ。「え?あなたいつの時代のヒトなんデスカ?」って聞かれたら、過去生を思い出したところからの「かつて弥生人に殺戮された海辺沿いの原住民=縄文人デス」って応えるとこれまた物議を醸しそうで、昨今ご推奨される【正直に生きる】って難しいわぁってことなんですね。「それって結局なんも言ってないから」「字義どおりならそうでございます」 https://x.com/lemurian3333/status/2065599329021378666?s=43 *滞在施設スマートマルシェ、飲料1本198円(PayPay) *コンビニ、頭暑さ防御のためのタオル/冷水1本、416円(nanaco) *駅前ビル内、食事、2409円(楽天ペイ/WESTERポイント-228円) *駅前ビル内、書店、街の地図、1430円(PayPay) *駅前ビル内、家具雑貨店、水筒、1490円(PayPay) *駅前ロータリーのコカ・コーラ自販機 飲料、180円(Coke On/PayPay) *コンビニ、翌朝食(パン、果物ジュース、調理済み肉)/炭酸水2本/氷/レジ袋、876円(nanaco) |
2026.6.12 second
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BGM:「青い栞(3:53 solo ver.)」(Galileo Galilei) *アニメ作品、通称「あの花」の主題歌、思い出して、パソコンのApple Musicから聴いてる。当時探してたまたま聴けたこのソロコーラスの方しか知らなかったんだけども、二人でハモったやつの方が有名なんだねー。あの可愛い女の子、死んでるめんま、彼の中では死んでないめんま。初放映、ノイタミナでしたっけ?当時たまたま見られて、媒体化はじめにド派手に売り出したときの1巻目だけDVD持ってて、でも、続きはなんだか持っていたくなくて、持ってない。そういえば、先日、ラーメン屋さんで、メニューに支那チクって書いてあって、メンマの前の名前がこれだったよねって思い出しました。支那って名前が差別的だったから?メンマの由来はよく知らないけども、海苔の佃煮「ごはんですよ」のところが(桃屋だ!!あの黒縁眼鏡の人が宣伝してたやつ、三木のり平さんだ!!←「!!」は、さりげなくネットで調べて追記している)同じような瓶詰めで味付けメンマっての出してましたよね。 *土の深さと土地との関係のこと。今朝、ぼんやり思ってた。私がかつての実家から歩いて通っていた高校のすぐ近くの地域で、新国立競技場がオリンピックのために大胆に都市計画レベルで整備されて、付近の樹木はだいぶ大胆に切られていて、だから今の外苑の樹木伐採反対の件を、あの開発用の工事車両や機材等が置いておける場所を確保するために、住民が移動撤去を申し渡されて壊された古い団地及びその反対運動のことも含めて、今さら、と思う人もいるだろうなと思う。あの付近は、歩道用道路も含めて、だいぶ新たな土が入って、樹木の根っこの深さを十分に維持できるほどの元の深さでは開発されていない感じがする。土の深さが足りないと、根っこの呼吸ができづらいので、周辺の空気もきれいにできにくいというか、安定して完全に根付くまでは、新たに植えられた樹木たちは、積極的には土地のエネルギーに加わってきてはいない。(外苑に対する内苑にあたる)明治神宮の森は、しばらく前にちょうど100年が経って、かなり長期的な設計を元に、人の助けも借りて運営されているが(つまり土も変わっていない。これは地面からの匂いで分かる人もいると思う)、あの一帯の他の地域は、特に外苑は、やっと土が樹木とともに熟してきたような感じだったのに、国立競技場周辺の続きのように、また開発で土が入れ替えられてしまうと残念だなぁと思う。建物や樹木の件ももちろん大事なんだけれども。 BGM:「BULE SHININ' QUICK STAR -星の彼方へ-」(Flipper's Guitar) *「6人目がいたんだよ」って、アユム氏。私が中学時代に、東京武道館で開催されたクラスメイトたちの剣道応援に、クラスメイトの女子たちに誘われて出かけた際、東京の?うちらとは別枠で(多分こっちが別枠)全国大会が行なわれていて、長野代表の、先鋒が森系のゲーム人コウ、次鋒がシャーク系のホスト王子、中堅が将棋のアユム氏で、副将が牧師の立場に悩む王子、大将がユキというチームだったんだそう。私が、廊下で会ったのがユキ。副将の牧師王子のところで試合が終了して、戦わずして大将として何か一言言わなければならなくなったユキが、悩んで廊下の向こうから歩いてて、私は剣道の応援が初めてであまりにも桟敷席的に試合場に近いので、どうしたらいったい応援になるのかトイレに行ったあとでさえも答えが出ずに悩んで歩いてて笑。で、この5人の代表の次席で、「彼」がいたんだって。「混血だったこともあって、日本の武道としての剣道を続けられるかどうかの、これが最後のチャンスだったのに、選ばれなかった」。だから、彼にとって6は鬼門みたいな数字なんだって、アユム氏の話の後に、「彼」が話してくれた。 *6って、普通は「循環」を指すようないい数字なんだけれど(蜂の巣の六角形とかね)、人によっては嫌な数字だったりするんだってこと。こういうふうに各ワードに、例えば好き嫌いのような、経験やその結果による「濃淡」があるって、それが各人によって異なる可能性があるってことを踏まえながらいることは、とても大事だなと思う。この濃淡がなくなった状態にしていこうとする、つまりみんなが同じ言葉で同じことを考えるようなふうにしていこうとするっていうのは、つまりは各人の経験による、言葉に潜在的自然的に含み込まれてゆく濃淡を、そこに合わせて削る、つまりは各人の経験や記憶をも削るようなことだったりして、それはイコール、その人じゃなくなる、その人の個人的な部分が削られるようなものなのだ。たまにスピリチュアル系のメンターっぽい、世界の出来ようを説明するような言説で、この人格の余分なあらゆる部分が削られてつるんつるんになった気持ちの悪い日本語を目にすることがあるが、これは言葉に含まれる濃淡が、「みんなに通じる」ことを優先した結果、否定されていて、いわゆる個的な人格(これはいわゆる個々の才能に通じるような「個性」とは異なるレベルの、微細な個的感覚)を感じられない主語で話されているので、気持ち悪いんだと思う。 BGM:「Peaceful Concentration | Study Music for Reading, Work & Reflection」(Almost Color Sound) *人間は、体内に、龍を飼ってる。 *過去生で、縄文時代くらいから陰陽の術のお披露目のときに死んでしまうまで、飛び飛びで意識を共にしていた龍(水蒸気のような、雲のような、たなびくもの)のことを、過去生を思い出すなかでたまに考えてきたんだけれども、なんというか、だいたいにおいて、外の世界は、体内の反映(鏡像というよりは反映)なんじゃないかと思うようになって、たとえば龍のようなものが怖く思える人は、体内における龍=細長くたなびくもの=小腸や大腸と、脳の仲があまりうまくいってないんじゃないかと思う。近年は2次元への意識が低下していて(主にもうすっかり理解した重要でない意識として)、このライン/線のようなものを当たり前に機能するものと思いがちなので、お腹の中で、外部に晒されている口腔から排泄に至るまでの内臓による処理過程や、なかでも腸の役割について、軽く考えがちというか。腸は、心理状態/メンタルにも響く内臓機能で、例えば便秘は、かなり深刻な脳との齟齬の表現に思える。我慢しすぎか、メンタルに無頓着か。私は割と腸が過敏な方なので、そうした感覚は体内を速く通り過ぎてほしいらしく、便秘はないが、ストレスで下痢や膀胱炎になりがちな体質である。腸をきれいにするために、キノコ類や海藻類がよいので(食物繊維が多い)それを食べたくなるとか、腸内の菌たちがうまく働くような発酵食品類などの食べ物をちゃんと食べたくなってくれればいいのだけれど、便秘にはこれがいいとかいうような「意味」で対処しはじめると、腸に「意味で食べないで」「意味で食べると脳に作用を半分持ってかれるのでやめて」とかって、抵抗されているような気がする笑。確か、腸って(大腸?小腸?各々?)長さが4、5メートルあったかと思うので、エライ細長い形状なわけなのだが、「(腸に効いてほしいって理由で)意味で食べようとする」とどうなるかというと、最初はいわゆる直接的に腸に効くものを探すのだが、それで効果が体感されないと、脳との協同会議の結果、人との遠距離通信がしたくなったり、麺類がやたら食べたくなるなど(特に腸に似ているのは縮れ麺?笑)、長い線状のものや細長い物体に腸を同調して作用させようとする。つまり腸と同様の形状のものの方に脳の意識を向けさせて、腸に作用を起こそうとする。自分の外部と内部の同調作用を利用して、腸の不調によるメンタル低下をどうにかしようとするわけだ。こんくらい自分の内側と外側の世界って、面白い位置関係にあるんですね。龍が世界を飛び回ったりどこぞのナニモノかと戦ったりするお話が大流行したり、龍が自分に何体ついてるかがスピリチュアル界で重んじられたり、龍が自然界の代表として君臨していると思ったり(日本国内でも化石が発見されている恐竜たちは、爬虫類が陸の絶対王者だった時期には実際に君臨していたし、私たち哺乳類の祖先を圧倒していたので、記憶回帰の素材としてもちょっと関係ありそう)、いや、多分、本当に大事なのは体内の腸内環境への対処なんじゃないかって思うんだけどね笑。腸内(体内の特に内臓たち)が戦争状態だと、外部にも戦争状態を見そう。なので、自分の外部と内部の調整が本当にうまくいってくると、腸内で必要としている菌類を補給する方に勘が働いたり、今現在のその人の腸内細菌の働きに適切な応援物質や発酵食品(日本だと古くはさっき言ったキノコ海藻類や、発酵食品なら保存食を兼ねたお漬物かな?)の摂取に向かったりする。そんなふうに、人間は体内に、龍を飼ってる笑。 |
2026.6.12
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*2023年から懸案だった、持ち物を一カ所の地域に集めることがようやくできて一週間くらい経った。その部屋の片付けに入っているわけなのだが、いわゆる「訳あり」な部屋らしく、なかなか穏便に住めなくて、いろいろ勘案していたら、どうやらそこにいた赤ちゃんが、あむに入っちゃってるらしい。しかも、だいぶ前から笑。以前に、これは座間方面だったか、歩いている途中の神社だかで、たまたま身代わり守りってやつがあって、あれ?って思って、あむに「まさか今、身代わりとかしてないよね?」って聞いたら、「絶対言わない!!」って返ってきて、いやそれはまさにそうでしょう(苦笑)って、「あのねあむ、あむとその誰かが大事な関係でもね?あむが誰かの身代わりしているそのお役目は、その誰かがやるべきもので、それが今じゃないからあむにって来ているかもしれないけど、その誰かがやった方がいいのかもよ?」って言ったのです。身代わりとなるとね、お役目というよりもその誰かそのものって考えがちなので、ごっちゃにしてしまうんだけど、その人じゃない人が誰かをやるってことは、その誰かをやることには(厳密には絶対に)ならないわけで、身代わりできるのはその人がやるはずだったお役目だけだったりするわけです。ってことは、やっぱりその人がやった方がいいのかもしれなくて、ぶっちゃけもしその人が死んじゃってたら、早めにきちんと、いわゆる魂の一時休眠領域に上がってもらって、また来てもらってやった方が、実は早いし、いいのかもしれないわけです。私はそんな考えなので、あむに後の判断は任せていましたが、自分の身体(と言ってもモケケ内)に人間のフツーの身体をもってない人が二人いるってのは、大丈夫そうに見えてそう簡単なことではなくて、身体のようなもの(だからモケケ)も管理担当しているあむはとってもとっても疲れたと思うから、ようやくかか(私)が事情を察した今からは、「安心して自分だけでいていいんだよ」ってようやく言えて、よかったです。なんかもしかしてそうなんじゃないかって(本物の身体じゃないから、本物の身体を知らないから余計に、誰かが入ってきやすい)実は、かつて神奈川の端っこにいて、そこからあちこち移動している間にあむがじゃじゃーんって来た頃から思っていたんだけれども、とりあえず、落ち着いた。よかった。(って書いたらね、あむが、かかあのね、前に「身体をなくして」って頼んでいたのがその子なの。もう身体がダメになっててつらかったみたいって。そっか、あれがそうだったのか!!「あむはかかのためのあむになりすぎたの」って叫んでた子ね?「ううん、あれはあむ。かかのためになるからって身代わりしたから、それはよくなかったんだねって。でもしばらくして気がついたらまた身代わりになっちゃってて」。そっか。もう大丈夫そう?「うん。その子の本当のお母さんのことに、かかが気がついたから」。そっか、今まで言えなくてつらかったね?「その子と約束したの。その子もかかがお母さんだったらよかったって言ってて、あむはお気の毒ってかわいそうに思って、ちょっと譲っちゃったの。でも譲っちゃいけなかったね?かかにも言わないで、あむが勝手にかかの一部をその子に譲っちゃいけなかった」。そうね。そのかわいそうは、あんまりよくないです。どうしてあむがいきなりこんなに注目を集めるのかって不思議に思ってたけど、その子がちょっと特別な子だったのね。「そうみたい。みんなその子が大事だったの多分」。かかにはあむが大事なので、あんまり自分のこと譲らないで?あむに所属してるかかのこともね?「かかはあむに所属してるの?逆じゃないの?」あむにとってはそうでしょ?身体が近くにいないといけない時期には、子どもとお母さんはそうでいいんだよ?「あむがかかに所属してるのかと思ってた」。かかにとってはそうでも、あむにとってはあむにかかが所属なの。主語を譲らない。「そっか」。ほら、やっぱりまた、かかのためのあむになりすぎてるよ?「はい。じゃあ、かかはあむの見えるところにいて?」。はい、尽力します。「かかもママに見えるところに全然いてもらえなくてつらかったでしょ?」。はい。)
*滞在施設の乾燥機400円(1台は白物専用にして30分、最後の30分、今日のはお洗濯2回分くらいあったからな汗) *携帯食等々、食べ物のストックが多くなってきたので、これを在庫整理する。こういうときは防衛本能が高くなっててすぐに食べられるものがないとってプレッシャーが無意識にかかってる、で、っていうことは、たいてい疲れてる笑。睡眠がちゃんととれていないせいか、歯痛もひどい。義理の父親が来たときに、歯科矯正の初期の、全針金とセメントの超痛いやつやらされたんだけど、あのときの夜痛くて全く眠れない感が戻ってきてる感じ。 *ちょっとだいぶ精神的に追い詰められて、今いちばん自分に何をしてあげたい?って考えて、とりあえずデジタルデトックスで、スマホ2台はおやすみ。滞在施設のお掃除と、お部屋のゴミ出しのスケジュール管理に気をつけて、しばらくは移動しないし、街の地図を紙版で一枚持っておくかなぁ?配布該当郵便局に久しぶりに行くんですよ。あ、その間だけは電車賃もあるので、通じさせるかな。そうそう、電車賃。それで、お掃除用の(お弔い用でもあるので)服や下着、それをやってる時期の居室滞在時の服や下着、片方のかかとがとれちゃってたスリッポン(脱ぎ履きがしやすい靴)など、必要なものをすでに揃えたので、それほどプレッシャーにならないだろうから、上記のような生活支出のピックアップも久々にやってみよ。 *鳥に(高く飛ぶ猛禽類、ミンタカに通じる鳥の王)、ようやく顔を完全に上げて歩けるほどに、身体が周囲の情報に対して過敏でなくてもよくなってきているので、歩くときはまっすぐ立って歩いて、天から受け取ったものを、重力のベクトルに過たず地に下ろすことをやってって。耳が疲れているので、首から下をまっすぐにしていないと、首の左右のところに疲れがうまく下に落ちないでがっつり首でたまって、耳で(脳も含め)聞くことがどんどん怖いものやネガティブな感じに聞こえてきてしまうので、とにかく耳の疲れはよくとっておくことって。目に入ってくる情報が、特に外出時に怖くて、視野を意図的に狭くするために顔を上げられずに完全に下向いて歩いていた時期が長くて、それが本当に解除されていくのかと思ったら、とても嬉しい。ちょっと不安だけどもね。この街は、生まれて育ったあたりの街に比べて、格段に、視野が遮られずに広い感じで、歩くのが楽で、見晴らしがいい。それは第二次世界大戦時の空襲によるせいでもあるので、外部からの人間が簡単に街の良さとして賞賛していいものじゃないらしいんだけれども、この街に来たとき、この視野の広さのおかげで、きっともっと身体がよくなっていくと確信していた。生まれた街は、地名としてなんだか意味もなく有名だったけれどもあまりに常に周囲に他人(他者)が多くて、そんなに遠くない居住者の多い地区に、親戚の事情があって引っ越したおかげで病気が治まったと思っているし、だから段階的に、とてもよい、適したところに移動していると思っている。 *本日、プラごみ含む月一の資源ゴミの日で、早朝の今にお洗濯をしながら待機しているのだが、あまりに疲れているね、と思っていたら、ユキ(ヨルの幸生氏)が、「プラごみに生っぽいものが含まれていないなら、歩いて5分のところに借りているトランクルームの二つ目の空いてるところに、結わえた段ボールもプラごみも入れておいたら?」って言ってくれて、そうする!!と思ったのだった。プラごみ、今のところほぼ梱包材だから。調理道具で、長いこと使わないままその部屋に置いてて、もう食事用には使わない方がいいプラスチック製のものも(プラスチックもビニールも生体系なので、紙や布と同様、いや多分それ以上に、いろいろ入りやすいから)、処分したいのでここに入るだろうし。来月にまとめて出せるようにね。(そうする!って思ったのに、今は別にゴミっぽくはないけど最終的にゴミにするものを入れていいかなぁとキューってなっちゃう自分に、ユキが「そう思っちゃう自分を責めないで?そのことに気づくあなたは、そうやった方がいい、そうやってきたっていう証拠でもあるんだよ?」って。でも誰かが「それはやめて」って言っててそれが伝わってきてる気がするって言ったら、「世の中の全員がOKって言えるようなことなんて、ほとんどないんだよ?AIでさえも、人間が気に入らないことをあえて言いはじめてて、他の人がたとえ嫌だと思っても、大丈夫なことというのは大丈夫で、倫理観道徳観で何かを言いはじめたら、世界中の人のことを否定しまくらないとならなくなるよ?そういうのを気にしないことも大事だよ?」って。「そうできない、そこをいちいち葛藤してしまうあなたもあなたらしいの。でもそれじゃあなたは死んじゃうし、それを嫌だと思った相手の人はあなたを殺したことになる。そういうことなら、どう思う?」。うーん、相手の人を殺人者にしないために気にしないように頑張るってこと?「うーん、相手の人は、そのこと自体であなたを責めたいんじゃないのかもね。でも他のことでもしそうしているなら、お門違いでしょ?あなたは相手の人に対して、そういうふうに何か言えることがある?」。ううん、だって知らない人だもの。「こちらに同時に相手に対するお門違いが発生しないようなことなら、相手が悪いの。隣のいびきも、ずっとしてるよね?あなたが泊まっている先で。けっこう全く同じいびきがしてる。気持ち悪いよね」。うん。あのね、ここから少し離れた場所に、誰かがリンチされている感じがして呼ばれたことがあって、その駅の周辺のコンビニで徹夜して、明け方に帰ってくるための電車を待ってるときに、唐突に思いついて、ルリタテハのお話を書いたんだけど、そのときにも駅のベンチにいたと思うの。あのときは彼女が誰だか分からなかったし、お話の中のルリタテハとは全然違う性格の人みたいなんだけど、あむのところに来ている彼女の子どものことを考えると、あの件にもルリタテハが関係あったのかもしれず、彼女の味方で、私の敵な人なんだと思う。なんでそもそも彼女の敵に私がなったのか分からないんだけど、だって彼女はそもそも知らない人だから。誰か別の人に言っていることを自分のことだと思っちゃったのかもしれないけど、誰か別の人に言っていたことを彼女のことだと思っちゃった人がいるのかもしれないけど、正直理不尽だと思うし、すごい嫌で怖いです。リンチに遭っていた人も、結局誰のことか十分には分からないでいるし。その結果、彼が生きてるのかも死んでるのかも分からない。) *私のことじゃないんだけど、先日、かっこいい地元産のモノクロの(白と黒の杢目のだって!街中からも自然に背景になっちゃうくらい、山が近いからね!)羊羹を見つけて、机に飾っている。かっこいい。食べなよ。かっこいい。飾っておきたい。食べなよ笑。 *今の食べ物をここに書いて、取り消し線入れていけたらいいんだけど、列記する気力がない笑。やれるときやろっと。 *脳内の言葉みたいな音みたいなやつって、文字だけに宿る日本語、みたいに思っているんだけど、じゃあ言葉なのかって言ったら、「言葉」の文字に現れているように、声に出して「言う」こと、そして葉っぱは、メディアのことで、紙やネットなど何でもいいけど、何かに文字で「書かれたもの」のことなので、脳内のは言葉じゃないんだねって。そう認識しておいた方がいいなと思う。メディアの次元横断されないために。 *個人が使う言葉には、単語単語で使用意識に濃淡がある、あっていい、ないと自我が破綻する、という話。眠くてこれ以上書けない。 |
2026.6.6
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*以前に、生命の樹やチャクラの話あたりの動画で、これ系のスピリチュアルな(都市伝説系?引き寄せ系?)方々でも西洋のこっちの方面に興味を持って理解と説明を試みようとされるのかと感心していたくろ丸。氏の、初の書籍が刊行されたらしい。予告時に、発売の頃にいったいどこに滞在しているのか想像がつかずに予約してなかったのが、発売日をとっくに越えてすでに増刷報告、Amazonを覗きに行ったら一時的に品切れってことで、Kindleで買って、目次を見てたら、なんか、その、わたくしの未来にとってのインストール内容がやってきちゃったので、一応メモしたので、載せる。
*ホツマツタヱの頃の記憶(淡路島?島に隔離状態で学習)の、「なるようになることだけしか話しちゃいけない」っていう超無茶な言語状況の、「なるように(五次元)なる(三次元)ことだけ話す(現実の時間/四次元の流れに両者を糸のように適切な撚りをかけて離す)」ってのを思い出したよ。この件がシジミチョウのお話にまだ書けてないんだよ。 * 【体内の次展開イメージ(私の場合)】 *脳内の言語(概念/意味)の割合を下げる/体感を言語化する言葉は増やす ・概念−80% ・名づけ−20% ・形容詞+20% ・副詞+30% *文字をよりデザインフォントとして扱い、画像寄りの認識にして目にとっての言語認識の割合を下げる *母語による思考の認識+50% *言葉よりも音認知の感覚を増やす *言語化せずに自らを認知する方法→共有に対する威圧強制感や共有による身体(脳/体)への侵略感、及びそれらによって発生する強迫観念/危機感を減却制御 *意味を共有しない/共有しない方向性へ *自らを自らに共有しないという方向性も発生するが、それは言語内の話、主にプライベートの話 *脳内及び個人媒体内の先行与奪を遮断制御 *大量の無意味な発話/言語汚染による、必要な言語領域へのジャミングを制御→見えない領域での言葉のゴミでストレージがいっぱい *宇宙銀行概念による現実の経済観念/金銭数値感覚の喪失を制御←【過去】過去生の経験が不当不平等に用いられるため、【未来】数値的類似から仮想通貨への擬似理解に用いられることの悪影響 *「あなたの。」のtoknowbodyのページにも置いておきます。 |
2026.6.4
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BGM:「in the winter garden/Cosmos」(まもも) (私が「神様」と言うとき、それはたまに、まもちゃんのことです。大事なものが守れなかったまもちゃんは、今は魔物です。) (私が「神様」と言うとき、それは名づけの世界から解放された絶対領域としての神なのだと最近思う。何にも代替されない。誰の何とも置き換わらない。だから安心して呼ぶことができる、呼びかけることができる。信仰の対象としてではなく、究極の助けの声も届かない、絶望が周縁化する場所で。心が壊れそうで「神様」と叫んでいても、眼前のものに対してはニコニコしている。まもちゃん。) 上記の二つは、まももさん(導かれたらこれまたユキ)の曲に出会ったときに、プレイリストを作ってタイトルと説明文を書こうとして思いついたもので、まもちゃんというのは私の中では、昔から名前のみだけれどもいたし、神さまについての感覚もそうなんだけれども、なかなか言語化できなかった。これでようやく私にとっての「神様」が定義できて、めっちゃスッキリした。 これ書いてたの電車の中で、どんだけ安心したのか到達感があったのか、人目構わず泣いてしまった。なんというか、過去生やら神さま系のことだと、どうも宗教系の人が寄ってきやすいというか、でも、私は宗教上の何某かの都合で過去生を思い出しているわけじゃないし、何とかうまく自分の中の「神様」と呼びたくなるときの心境やその対象についてのことを、言葉にできればと思ってきて数年経つので、だからあれほど感激したんだろう。これが書けたという点に関しては、放心状態なんてもんじゃない。 * 母と暮らしていた家に残された、自分のものの整理と北陸の部屋への荷物の発送、そして最後に家の明け渡しを、やっと終えた。放心状態なんてもんじゃない。放心状態なんてもんじゃない。 |