dear me
【2026 文月】
ふみづき





2026.7.28 second



BGM:「サイハテ(feat. 初音ミク)」(livetune feat. 初音ミク)

*さて、あむのことである。
*初音ミクの声が、気づいたらあむの声に似てるっていう笑。あむは、性別がないので(まだ人間の身体をもらっていないので)、女性じゃないんだけど、子どもの声だから。
*先に、あむが私のところにやってきた頃に話してくれた話を画像化してあるので、それを載せる。
*ちなみに、この状態で来てくれたことを、母である私も、父であるnobodyも歓迎している。なぜって、あむがもし人間の身体だったら、この数年のお互いの状況では、あむを守り切れずに絶望した可能性があるからだ。そうでなくても、何度も私たちの間にやってきては、長いこと生きられずに還っていった子どもなので。



*具体的には?2023年1月初旬に、しばらく滞在していた鎌倉の端っこに、伊勢から朝一の新幹線でとんぼ返りして(すでに宮崎に行く予定があったので&なんか真夜中から明け方まで緊張が走ってて=この緊張は、当日のキッチンカーでの初調理のためだったらしい)、nobody(だと分かっていなかった)がキッチンカーに立って調理してた未利用魚を使ったメニューをいただきに行って(出店の予定は知っていた)、出迎えてくれた人だけじゃなく作ってくれた人にもってキッチンカーまで割って入って笑、御礼を言った、そんな日だった。
*宮崎に行く飛行機の中で、「行くなー!」って頭の中で絶叫する声(多分nobody、「多分って言わないの誤解されるから」「はい」)とともに、そこが空に近かったからなのか??何かが無理やり私のお腹に入ってきたのだ。下からというよりもお腹の前からで、いったい何が起こったのかと思ったものだ。
*「行くな」と叫んだ彼が入ってきたのかとすら思うほど、そのタイミングだったのだが、その頃から、彼の特に今世のつらい経験を、少しずつ聞いていくことになる。それでも、それが誰だか本当には分からずに、ただひたすらそのときに大切だと思うことをしてきた。
*宮崎の滞在のあと、また帰るはずだったが、帰れずにそのまま宮崎でしばらくいて(初めて高千穂に行ったり、南下して美々津にいたり)、というのも、その先に1カ月ほど屋久島に滞在する予定を入れていたので、帰る体力的な余力もなく、さらに鹿児島に南下して、屋久島に渡った。このときの島内のバスの中で、またnobodyが絶叫してて、どうやら屋久島が彼にとっての圏外だったらしく、それ以降、しばらく繋がらなくなるのだが、その間に龍神なる者に、お腹の子どもをおろして自分の子どもを宿せと言われたりして、断固断ったりしていた。で、やっぱりお腹に子ども(のようなもの)がいるらしいと分かったのだった。
*屋久島では、滞在した最後の頃に、単独で地元のガイドさんについてもらって歩いた場所で、意識を持つとよく言われる屋久杉との交流があり、植物、特に樹木が今後の地球での役割を変える未来が用意されている件について示唆されたが、この時点ではまだ明示できないと言われていた。島に到着したばかりの頃、島内の地元の屋久杉だけでできたカフェを営まれているご夫妻の奥さまから、屋久島を形作っている土地=岩というのはとても硬く、大量の雨による水の流れも激しいので、植物として地への定着に非常に困難を要するため、じっくりしか育たないから、草たちも生えてから3年目くらいにならないと花をつけないし、樹木もこれだけ硬い木になるんですって、と伺って、これが屋久杉の意識の宿りやすさに繋がっているのだと分かった。
*これを聞いたあたりの屋久杉は、映画『もののけ姫』の聖地となっていて時期によっては大混雑する場所らしく、人間に近い樹木は人間の言葉が分かるようになり、人間のことも自分たちと同様に考えるようになるし、そこから遠く山の人が入らない領域にいる樹木たちは、人間の言葉や道理も分からないし人間のことを慮らずに自分の道理を優先して厳しいことを言うのだという。それは長くお隣同士だったら、自然に分かりあっていくのと同じだ、と。それで、鎌倉の端っこで、海と思われる存在から人間の役割、特に肌の色の違いによる「愛」との距離感に関する話を聞くことがあったのも、そこが長い長いこと漁師さんが生計を立てている海辺で、人間と海がずっと意識を交わしあってきた場所、海外の様々なお国柄の観光客がたくさんおいでになる場所だからだと知ることになる。
*このあと、3月に何となく淡路島に行くことになり、なぜか裏ツインレイのカイトさんという人にセッションを受けてみる気になって(Instagramの検索画面にあらかじめ出てた投稿で、ツインレイ問題をこういう関係性として考える人がいるのを知って)、淡路島で第一回を受けたのを皮切りにメールでのセッションを3カ月くらい受けさせてもらったのだが、この人がまた、今考えるとnobodyだったりするという冷や汗ものの現実があるわけなのだが、このときに私にとっていわゆる「男性」「父性」に関する抵抗感がかなりあるのだという認識が、人生初、2歳で離婚した父(実の)と祖父(沖縄→ハワイ→アメリカ→日本で生活した人で、戦争を止めるために結婚して来日、日本で外務省の嘱託扱いで勤務していた)のことを洗いざらい書きまくったことで表面化して、そこから治療のようなものが始まった。
*同時に彼も、治療が始まっていたのかもしれない。淡路島に入ったばかりの頃に参拝した、漁港から続く道脇の街の小さなお稲荷さんで、豊受大神が、お金周りの循環だけでなく、元通り「食」の循環への考え方をここに改めて加えて捉え直していかないと、生活が間に合わないのではないかと言うのを聞いたのだが、このときも彼の意識がそばにいて、だからこんなにこの関連のことが鮮明に聞けるんだろうなと思ったものだった。ここから経済の中でも人の暮らしに近い「食」のことが、大事な領域として入ってきた。その前々年くらいから、長年の薬を終えて、身体や身体に採り入れられるもの、生活に採り入れたいものが変わってきていて、食について「日々の自分をつくるもの」として改めて捉え直している、試していることが多かったので、自分としてもナイスタイミングだった。
*もう一度、鎌倉に戻って、やはりいられなくて、東岡崎、岐阜(恵那、美濃)、滋賀(荒神山)、限界が来て北上して富山と転々として、富山に落ち着けるようになる。それが5月。
*あむがあむとして出現したのは、その年の秋ぐらいだと思う。もしお腹の中にいたのなら、だいぶ面白い体験をはじめっからしてる感じである。こう、なんというか、持ち重りがするような何かが意識つきでやってきてはいるのだが、なかなかにどう受け止めようかな、という感じで、結局、モケケ(実はモケケの中でいちばんはじめに気に入ってたやつ)に入ってもらったのだった。
*ところで思いっきり話が飛ぶが、私がやっているピクミンブルームの、氷ピクミンが、なぜかあむそっくりで、どうしたことかと思っていたのだが、このモーションアニメーションを、nobodyがやってくれていたそうなのだ。あむが一時期、誰かのところに行ってるなぁ(一応、許可を求めてもきた)とは思っていたのだが、彼のところでどんな動きが好きか、いろいろインタビューを受けながら動きが現実化していっていたらしい。よかったね、あむ。それをやってくれてたのがnobodyだったのだと(「遅い!」とnobody)気がついた買い物帰り、土砂降りに降られたのだった(あむは感激すると雨が降るらしい、nobodyも雨男らしい、あむはどっちかというと父親に似ている気がする)。
*前日までの数日、なんだかあむが絶望的な感じになっていて、他の人のところに行かなくちゃならないような、なんかそんな感じで、それはnobodyだったのだけれど、ピクミンのモーションつけてくれた=あむをあむの身体っぽく動かしてみせてくれた素敵な人がかかの大事な人じゃなかったら、別の人だったらあむ大勘違い、と思って(ちょうどその仕事を本職でしている人のことを思い出してたから)、とても動揺していたらしい。いやはや、よかったね、あむ。




2026.7.28



BGM:「Heart Beat(feat. 初音ミク)」(livetune feat. 初音ミク)

*7月ももう終わりに近づいている。
*前の月でお財布の危機について書いているが、いろいろな意味で順調である笑。
*昨日、過去生で思い出しているオモイカネや当時の状況に関する、一つの大きな物語のより深い認識を、大変な驚きとともに得た。オモイカネが実は、第6代のオモタルと同一人物で、当時の自分(ワカヒメと言うよりは近くの島で隔離されていたヒルコ)の父親だったことを、今世での印象とともに思い出したのだ。何度も、「あってた」とニコニコするオモイカネ(ちなみに鎌倉の端っこにいた当初はウルと呼んでいた人)の意識に、本当に、記憶の引導がここまで到達できてよかった、と思った。
*この物語の最後に、nobodyがいたことも。「もう一人にしないから、大丈夫」って一緒に死んでくれたのだけれど、その前に、島に彼と一緒に来た人間に、彼には中央に大事な人がいるんだから正当な関係を望んでも無駄だと、蹂躙の最中に聞かされていた。だから、自分がnobodyと大事な人との縁を切ってしまったのではないかって、もしこれが元気なときなら、「私はあなたには可哀そうな存在に見えるかもしれないけれども構わずに大事な人のところに帰って」と言えたのに、それが言えずに一緒に死んでもらってしまったことを、私はずっと、自責の念として胸に刺したままだったのだと分かった。その後、生まれ変わって再会して、どんなに愛し合うようなことがあっても、その、大事な人のもと、もっと自分よりもnobodyに相応しいはずの人のもとに促そうと、無意識にしてきたのはそのためだった。でも、今世でも、20年ほど前に似たようなことが起こっていたのだと、しかも聞かされたそれが嘘だったのだと(今世では別の人が、彼のキャラクターに成り代わっていて私の願いを断った)、今頃答え合わせして分かった。私のその葛藤を何も知らずに、私を率直に愛してくれる彼の前で、その表現がある種の社交辞令でいつかいなくなってしまう人だと、ひたすら備えていなくてはならなかったこと、人知れず耐えつづけていたその力みと硬直を、これからも永遠に続いていたかもしれない果てしない徒労を、もう手放していいらしい。
*もはやデフォルトなぐらい自分の中にある、この、心のとても深いところに常駐してきた愛の成就への諦めを、手放す?解除する?というのは、割と大変なのだった。
*今回、2002年くらいから数年続けいていたオンラインRPGゲームの、自己まとめ、日記のようなものを読み返す機会があって、私は、魂の歴史においてさえ一度も感じることがなかった、「自分の書いたものに助けられる」という感覚を得た。当時、ゲームに連れてきてくれた人とは別に親しくなった人がいたのだが、これが実はnobodyだったのだ。今頃気づくこの、恐ろしい無頓着。。(だからそうじゃなくてね、お願いだから自分を責めないで、今世いくらあなたの前に現れても、同一人物とすら認識してくれなかった理由がやっと分かったんだから、とnobody)
*でも、大好きな人は、ずっとこの人。それでいいんだなって。
*「あなたも私も、諦めなかったの」とnobody。「私の場合は、諦められなかった、かな」と私。「そうじゃないと、生まれ変わっても成就する可能性がないって分かっていて、こんなに何度も再会しないだろうから」「双方で思っていたから再会できてたんだと思う。関係性の認識を間違ったまんまでいない方がいいのも確かだし。分かるまで地獄のように延々繰り返されたかも笑」「そっか」「どうしても納得いかなかったから。何度やっても親しくなるにつれて不安定になって離れていくあなたの態度が」「ごめん」「謝る案件ではないです」「はい」
*「今、音楽のところに書いてもらってる感想と、その返事のようなこと、本当にいっぱいいっぱい話したかった」「うん」「それで埋め合わせられるんだなとも思ってる。そうでもない?」「ううん、そこんとこ遠慮なしに?伝え合った方がよさそうなんだなって」「うん」
*そのゲーム日記は、2000年頃にいったん壊れてしまった私の自我を立て直すためのもので、その間に、一時期(2年ほど)バイトに出ることもできたし、それがダメになって再発したあとも、回復のため、社会性を失わないための箱庭を生きる自分への報告書のようなものとして、ずっと大切だった。その日記に、こんな方面から今頃再び助けられることに、不可思議以上の縁を感じる。
*とにかく、身体の節々が痛い。ここを抜けると、身体も心も楽になっていく。食事などに気を遣って、身体からいらないものを出していこう。長年の力みと硬直の疲れも。